幸せのちから
2007/11/1
The Pursuit of Happyness
2006年,アメリカ,117分
- 監督
- ガブリエレ・ムッチーノ
- 脚本
- スティーヴン・コンラッド
- 撮影
- フェドン・パパマイケル
- 音楽
- アンドレア・グエラ
- 出演
- ウィル・スミス
- ジェイデン・クリストファー・サイア・スミス
- タンディ・ニュートン
- ブライアン・ホウ
医療機器のセールスマンをするクリス・ガードナーは機械が売れず、妻は長時間労働、息子はチャイナタウンの英語の通じない保育園に通う。一念発起、株の仲買人になろうと考えたクリスだったが、家賃の滞納で部屋を追い出され、妻も新たな仕事のためNYへ行ってしまう…
息子を連れてホームレスになりながらもチャンスをつかんで億万長者となったとことの実話を映画化した作品。息子役のジェイデン・クリストファー・サイア・スミスはウィル・スミスの実子。
まあ予定調和の物語で安心してみることができるわけだけれど、まず気になるのはアメリカン・ドリームの行く先が株の仲買人ということだ。息子とふたりで苦労した結果、成功するのが株でいいのか、と私などは思ってしまうのだが、これも拝金主義というか、金を稼いだ者が偉いというアメリカ社会では当然のことなのか。
さらには、このクリスの成功する過程もこれでいいのかという気がしてしまう。部屋を追い出されたり、モーテルを追い出されたりすることにクリスは不満を持つけれど、家賃を払わないのが悪いので、家賃も払ってないのに何ヶ月も置いてくれた大家にむしろ感謝するべきだ。必死なのはわかるが、自分が幸せをつかむためなら何をしてもいいという感じの振る舞いがどうも目に付く。これが弱者に対して冷たいアメリカ社会への批判につながれば、それはそれで成り立つと思うのだが、一応無料で泊まれる宿泊施設が(あまりに希望者が多くて競争が激しいが)あったり、お金がなくても生きてはいける環境を受け入れてしまっている感じがする。
結局息子にも無理な苦労をさせてしまっているわけだし、これで成功してそんなにえらいのかという気がしてしまう。
まあ、それでも息子のために頑張る姿は感動的ではある。どんな絶望的な状況でも希望を捨てなければいつか幸せを掴むことができる。原題どおり“The Pursuit of Happyness”(つづり間違いは作品内のエピソードに由来する)の権利は誰にでも保障されなければならないのだ。
人と数字に強かったクリスは結局成功したが、彼くらい、あるいは彼以上の能力があっても結局這い上がれない人もたくさんいる。それはアメリカの社会が格差を保存する社会だからだ。もちろんアメリカン・ドリームという言葉があるくらい、その格差を越えて成功するものもいるにはいるわけだが、概して弱者に厳しい社会である。
その社会的欠陥を取りざたせず、アメリカン・ドリームの夢ばかり見せて低所得者層の不安を希薄化する。この作品を通してハリウッド映画がやっているのはそんなことだといううがった見方をしてしまうのは、私の考えすぎだろうか。ハリウッド映画を作っている人たちというのははっきり言ってみな成功者で金持ちだ。もちろんなかには本当に弱者のことを考えている人もいるだろうけれど、なかなかそのような作品にはめぐり合えない。ハリウッド映画が弱者の見方のような顔をするときは、多少警戒したほうがいい。そんな変な教訓をこの映画から得てしまった。
まあ、ウィル・スミスはやっぱり面白いしなかなかうまい。息子もかわいらしく、実の親子だけにそのふたりの間に生まれる雰囲気にはなんとも暖かいものがある。変なことを考えずに、一つの幸せな物語としてみればそれなりの満足感はあると思う。ただ、サクセス・ストーリーとして作るなら、もう少し派手な終わり方というか、本当に金持ちになって幸せな生活を送っているところまでしっかりと映して欲しかったなと思う。この終わり方では「あーよかったよかった」と拍手できるほどにはすっきりとしないのではないか。
監督のガブリエレ・ムッチーノはイタリアで映画を撮ってきたイタリア人監督でこれがハリウッド進出作品となる。この程度の映画を撮るのなら、別にわざわざイタリアからつれてこなくても… と思うが、英語になれればもっといい作品を撮るのかも知れませんね。