出エジプト記
2007/11/3
出埃及記
2007年,香港,94分
- 監督
- パン・ホーチョン
- 脚本
- パン・ホーチョン
- チェク・ワンチー
- ジミー・ワン
- 撮影
- チャーリー・ラム
- 音楽
- ガブリエル・ロバート
- 出演
- サイモン・ヤム
- アニー・リウ
- ニック・チョン
- アイリーン・ワン
巡査部長のイップが女子トイレで盗撮していたクワンの取調べを行うと、クワンは女たちがトイレで男を殺す相談をしていたのだと話し始める。しょうがなくそのまま調書を提出するが、夜再び呼び出され調書を紛失したらもう一度取り調べてくれと頼まれるが、今度はクワンはトイレが覗きたかっただけだと証言を覆す。
香港の中堅監督パン・ホーチョンのサスペンスドラマ。日本ではなぜか公開されないが、作品の質はなかなか。
警察ものではあるが、かなり風変わりでおかしなサスペンスだ。女子トイレを盗撮していて捕まった男が、女たちが男を殺す相談をしているのを撮ろうとしてたのだと主張することから話は始まる。主人公の警察官イップも最初は取り合わないのだが、夜調書を紛失したといわれて再び取り調べるとそのクワンが証言を覆すことでおかしいと思い始める。そして、その間に証拠保全課の上官がクワンに面会していたと聞いて、独自に調査を始める。そして、証拠のようなものが見つかってどんどんのめりこんでいくというなんとも荒唐無稽なストーリーだが、面白みはある。
このような奇想天外の発想から始まるストーリーはどのように展開しテクノかが読めず、それが驚きと面白さを生む。イップのやり方に疑問を感じる部分は多々あるものの、彼がじわじわと真相に迫り、意外な事実が明らかになっていくという展開にはスリルがあり、さすがはエンターテインメントの本場香港と納得する。妻に誠実だったイップが簡単に浮気してしまうところなど、なんとも強引な展開だが、まあそれはそれでいいのかなと思わされてしまうのも確かなのだ。
意外さが生む面白みはストーリー展開に限ったことではない。一つ一つの発言や行動にも意外性のあるものが多く、あっ!という驚きで画面にひきつけられるのだ。まじめに考えたり、細かい部分の矛盾や理不尽さを言い出したらきりがないが、そんな些細なことを忘れさせる強引さがこの映画にはある。
そしてそのさまざまな意外さは、些細な出来事が起きるたびに、「何か起きるんじゃないか」というドキドキを生むことになる。たとえば、模様替えのために業者がやってきただけで何かが起きるのではないかという気になる。強引さに身を任せ、そんな驚きやスリルを楽しむのが、この作品を面白く見る方法だ。
この作品の題名が『出エジプト記』だということにはみなが疑問を持つだろう。監督はティーチインで「人間誰しも、自分が進む方向を示してくれる人を欲している」から、モーゼに率いられる人々になぞらえたのだと語っていた。まあ監督が言うのだからそうなのかもしれないが、私がこの作品を見て思ったのは別のことだ。
この作品でイップが何度も口にするのは「あまりにありえそうもないことは現実であっても人は信じない」ということだ。この映画の冒頭はシュノーケルマスクとふぃんをつけた男達がどこかの廊下で男をリンチするシーンだが、これをイップは実際に警察で行われていた尋問の方法だだと語るのだ。その理由は、あまりにありえない話で誰も信じないから、被疑者に告発されたとしても問題にならないからだという。そして、あまりにありえそうもないことは誰も信じないというこの物語にもいえるというわけだ。
ならば… と私は考えた。出エジプト記といえば「割れる海」、これもとてもありえそうもないことだ。だから現実だとしても人々はそれを信じない。しかし、それを信じている人もいるわけだ。そこから浮かび上がってくる事実の曖昧さ、それがこの題名に込められた意味なのではないか、私はそう考えたわけだ。
映画の持つ意味なんてのは見る人によって変わってくる。監督をはじめとする製作者が言えば、そうなのかということになるけれど、別の解釈が間違っているというわけではないし、私の解釈のほうがしゃれていると私は思う。パン・ホーチョンさんに教えてあげればよかった…