となり町戦争
2007/11/6
2006年,日本,114分
- 監督
- 渡辺謙作
- 原作
- 三崎亜記
- 脚本
- 菊崎隆志
- 渡辺謙作
- 撮影
- 柴主高秀
- 音楽
- Sin
- 出演
- 江口洋介
- 原田知世
- 瑛太
- 余貴美子
- 岩松了
舞坂町で暮らす旅行会社勤務の北原はある日新聞で、「舞坂町はとなりの森見町と戦争をします」と書かれた広告を目にする。開戦日が過ぎても何も変わらないまま日々は過ぎていっていたが、ある日、北原は役場から特別偵察業務の任命を受ける…
となり町同士が行政事業として戦争をするという奇想天外な同名小説の映画化。ふざけた題材だがテーマはまじめなもの。
現代の戦争というのはわれわれの目から“見えない戦争”となっている。それはわれわれ日本人が平和ボケしてるからだけでなく、戦争自体が見えにくくなっているのだ。それは従来の戦争が国と国との戦いであり、国民全員が戦争に参加するものだったのが、現在では多くの戦争は内戦であったり、ある国のひとつの勢力が他の国と戦ったり、あるいは複数の国にまたがる勢力が別の勢力と戦ったりする。そこでは普通に生活している人々と戦争の間に直接的なつながりが見えない。ある勢力なり何なりに強い帰属意識を持っていれば、戦争を自分自身の問題として捉えることができるが、そのような人はむしろまれだ。
この作品は、そんな“見えない戦争”を見事に描く。東京からやってきた北原は舞坂町に住んではいるが、そこへの帰属意識はまったくない。彼は舞坂町から森見町を通って市内へ通勤し、どの町に住んでいるかなどということは場所の問題でしかない。しかしそこで戦争が始まると彼はいやおうなく「舞坂町の人間」として戦争に巻き込まれる。しかもその戦争は目に触れることなく進行し、彼にはその意識がまったくない。それはたとえばマスコミが「クルド人地域」とレッテル張りした地域に住む人たちがその戦争に巻き込まれてしまうのと同じ原理だ。
そして戦争の目的が曖昧模糊としてわかりにくいのも現代の戦争の持つ意味を色濃く反映している。現代の戦争というのは表面的には民族や宗教を理由として起こっているが、実際のところは権力闘争であったり、権益の奪い合いであったりと複雑な要素が絡み合う。戦われている間はもっともらしい理由がつけられるが、そもそもの理由は他にあるかもしれない。この作品ではそのもっともらしい理由すら取り除いてしまうことで戦争の無意味さを審らかにする。人は何のために戦うのか、という疑問を明確な形で提示するのだ。
そのような面でこの作品は“現代”と“戦争”のつながりを見事に描いた作品だといえる。この映画画というよりはおそらく原作がそうだということなのだろうが、ともかくその面では優れているし面白い作品だと思う。
ただ、この作品はそれをあまりに説明しすぎるという点に難がある。これだけ描けばわかるはずのことをわざわざ言葉としてしゃべらせ、くどくどと説明する。言葉よりもこの作品の持つ比喩の力のほうが物事をよく説明するのに、せっかくうまく説明したことを言葉で説明しなおすことによって逆に嘘っぽくしてしまっているところがある。まあ、わかりやすくしたということなのだろうが、そこまでわかりやすくしなくてもわかるし、この説明はむしろスピードと面白みを奪ってしまう。それは演出全体にもいえる。登場人物の行動や表情がなんとも説明臭いのだ。そこまでしなくてもわかるよといいたくなるほどの過剰な演出の繰り返しにどうも辟易してしまう。
そして、そのせいもあると思うが、江口洋介がどうもいけない。演技は大げさだし、台詞もなんだか説明口調だ。原田知世のほうは無表情な役人という役柄に助けられて過剰さはなく、それなりにいい演技をしているのだが、江口洋介のほうは本当になんともいけない。
どうも素材はいいのにうまく映画化できなかった、そんな感想がすぐに浮かぶ、なんとも残念な作品だ。物語の展開もかなり見え見えだし、“見えない戦争”という要素以外には見るべきものはなにもないと言わざるを得ない。
でも戦争について考えるには見てもいいんじゃないかとも思う。