ラスト・キング・オブ・スコットランド
2007/11/11
The Last King of Scotland
2006年,アメリカ=イギリス,135分
- 監督
- ケヴィン・マクドナルド
- 原作
- ジャイルズ・フォーデン
- 脚本
- ジェレミー・ブロック
- ピーター・モーガン
- 撮影
- アンソニー・ドッド・マントル
- 音楽
- アレックス・ヘッフェス
- 出演
- フォレスト・ウィッテカー
- ジェームズ・マカヴォイ
- ケリー・マシントン
- ジリアン・アンダーソン
- サイモン・マクバーニー
1970年、スコットランドで医者となったニコラス・ギャリガンはウガンダの診療所で働くことに決める。彼がウガンダに赴いたのはちょうどイディ・アミンが軍事クーデターによって新大統領になったところだった。新大統領を祝う村の集まりに参加したニコラスは怪我をした大統領を助けることになり、後日首都カンパラに呼ばれる。
「食人大統領」と呼ばれたアミンをその主治医として活躍したスコットランド人医師の眼から描いた社会派ドラマ。原作はジャイルズ・フォーデンの『スコットランドの黒い王様』。
映画は歴史の教科書になりうることもある。映画は過去の出来事の情報を収集し、それを整理し、私達に伝えることがある。近年、特にアフリカに関してそういった作品が作られることが多い(たとえば『イン・マイ・カントリー』)。それはアフリカというのがずっと無視され続け、その歴史が私達の目にほとんど触れないからだ。映画を通してアフリカの歴史を知り、人々を知ることができる、それはすばらしいことだ。
この作品も非常な独裁者として有名なアミンを描いたということで、ウガンダの歴史を語る作品となりえたはずだ。しかし、この作品に限っては歴史を伝えるという意図はないように思える。この作品で語られるのはアミンが国民から熱狂を持って迎えられるが、これまでの指導者と同じように私利私欲に走って国民と国際社会から見放され、暴虐な独裁者となる過程である。ただそれを描くだけで彼の前のオボテ政権についても、彼が権力を掌握した過程についても、彼の失脚後ウガンダがどうなったかも語られない。
私はウガンダという国については不勉強で「アミン」という名前と彼が独裁者であったというイメージがあるだけで、この作品がそのあたりの歴史をクリアにしてくれるのかと期待したのだが、そうではなかった。この作品は歴史を語るものではなく、ひとりのヨーロッパ人の目から見たアフリカ、あるいはアフリカに迷い込んだ一人のヨーロッパ人の若者を描いた物語だった。
もちろんそれでもいいわけだ。アフリカを対象にしているからといって知識を与えることを目的にする必要はないし、そもそも社会派映画でなくてはいけないわけではない。そしてこの作品はそれなりのレベルに達してもいる。
スコットランドから医者としてウガンダにやってくるニコラスの目は完全に上からのものだ。そして受け入れるアフリカの人々も彼を上に見ている。彼は医者でありヨーロッパ人であるというだけでアフリカの人々にとっては驚嘆すべき人間なのだ。
しかし、このニコラス、決して立派な人間ではない。アミンに個人的に気に入られると、その寵愛に乗じて贅沢な暮らしに身を投じ、その権力に溺れる。医者としてアフリカに来るというと人道的な意図で、貧しい人たちを救おうと考えてくるのだろうと普通は思うわけだが、彼はそうでもないらしい。貧しい人々の暮らしからは目を背けてしまうのだ。
これは欧米への批判でもあるだろう。欧米はアフリカの国々に口を出し、統治者を挿げ替える。それは自分の国の権益のためであってその国の人々のためではない。そのような欧米の国々の姿勢とニコラスの立ち方の間には共通するものを感じる。彼が第一印象から嫌う役人はまさにそのような人間で、ニコラスが彼を嫌うのはそこに自分に似たところを見てしまったからだろう。
そんな主人公だから、感情移入することは難しい。彼の行動にはいらいらさせられるし、彼の無知は本当にひどい結果を招く。それを反面教師としてみる、それくらいしかこの作品を見る方法はないように思えてしまう。
この作品でアカデミー主演男優賞を受賞したフォレスト・ウィッテカーはやはりよかった。主演かというところには疑問が残るが、独裁者の不安と驕りをうまく表現し、アミンという人物の猜疑心の強さと子供っぽさを行動で示す。シナリオの関係上、アミンという人物の全体像を示すというわけには行かなかったが、一番の存在感を示したことは確かだ。
素材が興味深いものであるだけに、もっと面白い作品を作れたようなきもするが、それは私の期待度が高すぎただけかもしれない。これでもいろいろと考えさせられることは確かだ。