遠い道のり
2007/11/20
最遙遠的距離
2007年,台湾,110分
- 監督
- リン・チンチェ
- 脚本
- リン・チンチェ
- 撮影
- ヤン・ウェイハン
- ソン・ウンゾン
- 出演
- グイ・ルンメイ
- モー・ズーイー
- ジア・シャオグオ
新しいアパートに引っ越したシャオユンは不倫相手との関係に息苦しさを感じていた。そんな彼女のところには何通も前の住人宛に郵便物が届く。思い切ってその郵便物を開けてみるとそこには波の音のテープが入っていた。その送り主シャオタンはその土地を音を求めて旅をする録音技師だった。
台湾の人気女優グイ・ルンメイが主演したロードムービー。ヴェネチア映画祭「国際映画批評家週間」最優秀作品賞を受賞。
心にぽかりと穴が開いたとき、人は旅に出る。旅は何かを忘れるためのものであり、何かを求めるためのものだ。
この作品で最も印象に残ったのは医師を演じたジア・シャオグオだ。少し禿げかかった頭に独特の風貌、男前ではないのだがなんともいえない味がある。そして声はかなり低いけれどよく響く。役柄としてもかなり風変わりで、最初の登場シーンでは売春婦とホテルに行き、自分が売春婦の役をやるからそれを締め上げる警察の役をやれと迫るのだ。次のシーンでは夫の浮気に悩む女性を診察し、彼女の心の中をずばりと言い当てて、彼女を追い込んでいく。前のシーンがあるからこれも何かのプレイかと思うが、彼の役柄は本当に精神科医だった。
そして、カメラもそんな彼の顔をクロースアップで映し続ける。それはかなり異様な映像だ。顔に浮いた脂が光るその映像の彼の表情はいたってまじめなものなのだが、おかしさがこみ上げてくる。そして彼は旅に出る。
この物語の主人公の3人はみな旅をするわけだが、まず録音技師のシャオタンが旅に出る。旅に出るシーンはないのだが、シャオユンに届くテープから彼が旅に出たことがわかる。そして、次に旅に出るのは医師のアツァイだシャオタンとアツァイは田舎の小さな売店で出会う。この出会いがまた強烈だ。シャオタンはその売店の売り子が店の奥でカラオケを歌うのを録音するのだが、そこにやってきたアツァイがそこに勝手に入っていく。相手と距離を置いて盗み聞くシャオタンと、勝手に相手の領域にずかずか入っていくアツァイ、その対象が面白い。そして最後に旅に出るのがシャオユンだ。彼はシャオユンの音に見せられ、彼の音と彼を追って旅に出る。
この物語の主役は音を追って旅をするシャオタンとそれを追って旅をするシャオユンだが、実は最も重要な登場人物は医者のアツァイだろう。シャオタンとシャオユンのふたりは心に傷や空虚を抱えて旅に出る。このふたりだけの物語だったらあまりに退屈で曖昧なものになってしまうところにこのアツァイが入ることで物語りは充実する。彼は直接的にシャオタンの心中を吐露させる役回りを演じると同時に、人間の心の不安定さやもろさを示しもする。彼の突飛な行動は抑圧された欲求の顕現の一端である。その顕れ方は奇妙で突飛に見えるが、その行動のそれぞれに意味はある。何よりも突飛な行動には人間を癒す効果がある。突然旅に出るというのもそうだが、日常とかけ離れた非日常的な行為をすることで人は癒されるものなのだ。
アツァイの行動はそんな人間の心理を使って、自分の心を癒そうという行為だ。傍から見て異様に見えれば見えるほどその非現実感は増し、現実を忘れることができるのだ。
この作品を見て思うのは、男は何かを忘れ、捨て去るために旅をし、女は何かを求めて旅をするということだ。シャオタンは順を追って思い出を整理し、それに思い切りをつけようとする。アツァイは非現実を体験することでいやなことを忘れようとする。シャオユンは音とシャオタンを追うことで新しい何かを求め、同時にその旅がささやかな非日常となる。
彼らはみな傷つき壊れてしまった心を抱え、それを癒すために旅に出る。そのやり方にはさまざまな形があり、あらゆる人や音や治療がその助けになるわけだけれど、結局最終的に克服するのは自分自身なのだということも言っている。崩れてしまった心を組み立てなおし、開いてしまった穴をふさぐ。それができるのは自分しかいない。それを知っているアツァイはそのきっかけを探すために旅に出る。最初にあてにしていた手がかりは空振りに終わるが、最後にはそのきっかけを天啓のように見つける。それがどんなに異様に見えても、彼にとっては「それ」なのだ。他の人からすればどれも同じに聞こえる“音”がシャオユンの癒しのきっかけとなったように。