みんなのしあわせ
2007/11/21
La Comunidad
2000年,スペイン,106分
- 監督
- アレックス・デ・ラ・イグレシア
- 脚本
- アレックス・デ・ラ・イグレシア
- ホルヘ・ゲリカエチェバァリア
- 撮影
- キコ・デ・ラ・リカ
- 音楽
- ロケ・バニョス
- 出演
- カルメン・マウラ
- エドゥアルド・アントゥニャ
- マリア・アスケリノ
- エミリオ・グティエレス・カバ
- アントニオ・デ・ラ・トレ
不動産屋のセールスをするジュリアは売り物の豪華アパートで夫と一夜を過ごすが、上の部屋から水が漏れ消防車を呼ぶと、上の階の老人が死んでいた。住人の話からその老人が大金を隠し持っていたことを知ったジュリアは部屋に忍び込み、大金を手にするが、ずっとその大金を狙っていた住人たちに狙われることに…
スペイン発の悪趣味ブラック・コメディ。どんどんエスカレートしていく住人とジュリアの戦いがなんとも面白い。
スペインのコメディというのは非常に独特である。ただブラックユーモアにあふれているだけでなく、グロテスクで悪趣味だ。もちろん、いわゆるハリウッド的なコメディもあるのだろうけれど、スペインのコメディで面白い作品といえばそんな悪趣味なコメディという気がする。以前は『バチ当たり修道院の最期』なんていうコメディも撮ったアルモドバルもそうだった。
そして、この作品もその悪趣味が炸裂。いきなり天井からゴキブリが降ってきて、死後2週間たった老人の部屋はごみで埋め尽くされ、その老人の死体は見るも無残な姿になっている。しかもそれをおどろおどろしく映し、主人公のジュリアもそれを恐る恐る覗き見する。そして物語が盛り上がっていくにつれて、覗きシーンもあり、殺人シーンもあり、仕舞いには胴体が真っ二つになる。
そんなグロテスクなシーンが苦手という健全な人にはこの映画は厳しいと思うが、まあ映画だからそんなシーンがあってもいいという人にはぜひお勧めしたい映画だ。
この作品のようなスペインのグロテスクで悪趣味なコメディが面白いのは、それが単に文字通りの悪趣味(露悪趣味)に起因するものではないからだ。この映画の悪趣味さ、グロテスクさはこの作品にリアリティを与える上で非常に重要なのだ。この映画は確かにコメディだ。しかし、コメディ映画こそリアリティが必要だ。コメディ映画というのはただばかばかしいことをやっていればいいのではなく、リアルな日常と非日常の間にギャップがあって初めて成立するものなのだ。
この映画はそれを逆転させ、リアルな非日常と日常の間にギャップを作る。天井からゴキブリが降り、人が次々殺され、胴体が真っ二つになるような非日常がリアリティを持って伝えられることで、日常との間のギャップが生々しく見えてくる。だから、ここに登場する日常的な風景のほうが笑えるものになってしまうのだ。ジュリアが日常に戻りなんでもないようにフルまとうとするとき、見ているほうはついつい顔に笑みを浮かべてしまう。爆笑ではないが、そんなにやりとするような笑い、それがこの作品の面白さなのだ。
もちろん、問題の金がどうなるか、ジュリアが住人とどう渡り合うのかというプロットの面白さも重要だし、観客はそれによって物語りに引き込まれるわけだが、この作品の肝はそのようなリアルな非日常と日常のギャップにあるといえる。
しかも、さらに言えば、この非日常というのは決してわれわれの日常から隔絶された非現実的なものではない。この作品に描かれている悪趣味さ、グロテスクさ、残酷さはおそらく人間の欲望の本来の姿なのだろう。ここに描かれているのは欲望むき出しの人々だ。欲望のたがが外れたとき人間はこのように残酷になれる。それはつまり、人間の欲望というのが本来的にそのような残酷さを備えていることだ。
この作品では繰り返し「自分のことしか考えない」という言葉が出てくる。自分のことしか考えないとはつまり、自分の欲望に従う人間のことだ。もし自分の欲望に従ったなら、他人のことなどどうでもよく、他人に対しては残酷にもなれる。20年もの間、欲望をたぎらせてきた住人たちはその欲望のたがが外れてしまうと、もう歯止めが聞かなくなってしまうのだ。
しかし主人公のジュリアは少し違う。彼女にも欲はあるが、そこには一応の歯止めがある。だから彼女はこのアパートとという非日常と外の世界との架け橋となりうるのだ。そしてもうひとり、自分の欲望に対して盲目ではない人間が現れることで、物語は新たな展開を見せていくわけだ…
こういう映画は「とにかくだまされたと思ってみてみろ。」と言って人に勧めたくなる。もちろん「だまされた」と思う人もいるだろうが、面白いと思えれば、その先にはこれまでの映画体験とはちょっと違った世界が待っているのではないかと思うのだが…