モンドヴィーノ
2007/12/2
Mondovino
2004年,フランス=アメリカ,136分
- 監督
- ジョナサン・ノシター
- 脚本
- ジョナサン・ノシター
- 撮影
- ジョナサン・ノシター
- 出演
- ミシェル・ロラン
- ロバート・パーカー
- ユーペル・ド・モンティーユ
- エメ・ギベール
フランス・ラングドック、当地のワイン生産者エメ・ギベールは彼の畑のそばの山をモンダヴィが切り開き、ワイン畑にしようとしていたと語る。それは、ロバート・モンダヴィに代表される大規模生産業者によるグローバリゼーションの一端だった。
自らもソムリエの資格を持つジョナサン・ノシターは大規模生産業者と一部のワイン評論家によって大きく変質させられたワイン業界をフランス、アメリカ、イタリア、アルゼンチンと渡って取材し、その内幕を暴いていく。
ワイン生産者を描いたドキュメンタリーか何かかと思って何の気なしに見たら、予想とはまったく違ってワインという切り口から見たグローバル化の実態を描いた社会派のドキュメンタリーだった。
多少ワインを飲む人なら知っている、ロバート・モンダヴィやロバート・パーカーという名前が出て来て、そのことについていろいろと語られる。ワインが好きな人ならとりあえず興味深く見ることができるだろうが、それでも別にだからどうなんだと思う人もいるだろうという感じの話だ。しかも監督自身が撮影した映像は決してうまいとは言えず、手振れはもとより、映像の質もいまひとつ、せっかくの被写体がクリアに見えないことも多いので、なんだかもったいないような気がする。
しかし、私はこれは非常に面白く見た。まず、何が面白いかといえば、彼の視線がワインを通して“帝国”アメリカとグローバル化につながっているからである。彼自身アメリカ人なわけだが、経済を支配することによって価値観を押し付けるアメリカ的なやり方を嫌っており、ことワインに関してそれをやることを害悪と思っているのだ。そしてその諸悪の根源をミシェル・ロランとロバート・パーカー、そしてロバート・モンダヴィ(人ではなく会社)に置く。ロバート・パーカーというワイン批評家がワインに点数をつけるようになり、それが市場価格を決めるようになったこと、そしてさまざまなワイナリーのコンサルタントとして活躍する“空飛ぶ醸造家”ミシェル・ロランの造るワインがロバート・パーカーの好みにあっていること、それが味の画一化を進めたこと、そしてその画一化をロバート・モンダヴィのような大規模生産者が推し進めたこと、それらがワインの本来低的な個性であるはずの“地味”を失わせ手しまったというのだ。
そして、彼はそれに対抗する人物としてロバート・パーカーの進出に抵抗したエメ・ギベールと(彼に関しては100%支持しているわけではなさそうだが)、ブルゴーニュでロバート・ポーカーなど眼中に入れず頑固にワインを作り続けているユーペル・ド・モンティーユにスポットを当てることで、“こっち側”のワインのよさをアピールするのだ。
これは明らかに、グローバル化と反グローバル化の話である。誰かがカルフールを引き合いに出していたように、ワイン生産者もグローバル化し、それに対抗する形で地域性を打ち出す勢力が現れる。グローバル化は効率化であり、画一化である。それはある意味では進歩ではあるが、私たちはそのような効率化に対してどこかで気持ち悪さというか、反発心を抱く。それはそのようなグローバル化が非常に「鼻持ちならない」からだ。この作品では、その鼻持ちならなさを「ワイン・スペクテイター」(世界的に影響力を持つワイン雑誌)の記者に象徴させる。彼は彼の雑誌のオーナーであるフェラガモとフェラガモが買った村!に行き、そこで作られたワインについて語る。その鼻持ちならなさは本当にすごい。こやつの鼻持ちならなさを見るためにこの映画を見てほしいというくらい漫画のきざなキャラクターのように鼻持ちならないのだ。
そのような鼻持ちならなさを持つグローバル化を皮肉る話だから、私たち一般庶民はこれを楽しく見ることができる。それは大企業をおちょくるマイケル・ムーアの『ビッグ・ワン』にどこか似ている。そして同時にこのグローバル化がもたらす未来について考えさせられる。そして、具体的には「どんなワインを飲むか」について考える。わけだが、よく考えてみると、この作品に登場するようなワインはグローバル化サイドのものも、反グローバル化サイドのものも高すぎてとても口に入るものではない。私たちは“安ワイン”の中から評判と自分の舌でおいしいと思うワインを選ぶしかない。ただ、たまに高いワインを飲もうというときに、これまで以上に迷ってしまう。高いワインを選ぶ根拠は評判しかない。しかし、その評判がどうも信用できないとなると…
これはワインの映画で、ワインについていろいろ「ほー」と思うこともあって、それはそれで面白いが、私にとってはそれを超えてグローバリゼーションについて考える映画であった。それはつまり反米ということでもあり、だからフランスで人気があったというのもうなずける。
話しがなんともまとまらないが、まとまらないついでにもうひとつ。この作品にはやたらと犬が出てくる。犬は作品の内容に一切関係ないが、その犬がまた印象的だし、最後も犬だ。なんでこんなに犬が出てくるんだろう… 何かの象徴か?