PEACE BED アメリカVSジョン・レノン
2007/12/8
The U.S. vs. John Lennon
2006年,アメリカ,99分
- 監督
- デヴィッド・リーフ
- 脚本
- デヴィッド・リーフ
- ジョン・シャインフェルド
- 撮影
- ジェームズ・マザーズ
- 出演
- ジョン・レノン
- オノ・ヨーコ
- ジョン・ウィーナー
- アンジェラ・デイヴィス
- ジョン・シンクレア
ビートルズのメンバーとして全世界のアイドルとなったジョン・レノン、彼が徐々に平和主義に目覚め、平和主義活動へと入り込んでいく過程をインタビューを中心にまとめたドキュメンタリー映画。
ジョン・レノンが平和の重要性に目覚め、ブラック・パンサーなどの活動家と出会い、変わっていく過程を時代を追って描いた。オノ・ヨーコ、ボビー・シール、ジョン・シンクレアがインタビューを受け、ジョンの想い出を語る。
ジョン・レノンはまずビートルズのメンバーであるが、次にはやはり“imagine”の印象が来る。この歌に象徴される平和主義、反戦の精神はいわば彼の代名詞であり、そのこと自体は別に彼の意外な一面というわけではない。
しかし、イギリス人である彼がアメリカでそのような活動に関わっていく中で、アメリカ政府によって監視され、国外に追放されそうになったという事実はあまり知られていない。この作品はそのようなジョン・レノンとアメリカ政府との関係をテーマにした作品で、ジョン・レノンについて語ると同時に、当時のアメリカ政府についても語る。ベトナム戦争の時代だったこの時代に平和主義とは何を意味していたのか、それをジョン・レノンを通して明らかにしていくのだ。そして同時に彼がいかに平和主義“運動”に利用されていったのかも。
この作品が問題にしているのは、伝説的な当時のFBI長官ジョン・エドガー・フーヴァーが「国のため」というスローガンの下、さまざまな人権侵害を犯し、国民の自由を奪ったということだ。彼と彼の上司であるニクソンのやったことは、思想統制であり、自由の抑制である。彼らは違法な盗聴などの手段によって“非国民”をあぶりだし、その人物が活動できないようにさまざまな手を打った。ブラック・パンサーや左翼活動家と親しくするようになったジョン・レノンもその対象となり、盗聴され、最終的には「ビザの期限切れ」を理由に国外退去処分にすることでジョン・レノンの影響力をそごうとしたわけだ。
ジョンが活動の幅を広げるにつれFBIに目をつけられるようになっていくという過程の部分がこの作品はすごく面白い。もちろん観客はジョン・レノンの側に立つように操作され、にっくきニクソンとフーバーという形で見るようになるわけだけれど、そこにはついつい引き込まれてしまうようなスリリングな展開があるのだ。
そして、そのように観客を引き込む手法がこの作品は優れている。最も効果的なのは作品の半分近くを占めるインタビュー映像の背景として映像を使っている点だ。普通インタビューというと、背景は文字通りの背景であるインタビューしてる場所が映っているわけだけれど、この作品ではその部分にアーカイブ映像をはめ込み、インタビュアーの話と関連するイメージを観客に投げかけ続ける。その映像はもちろんジョン・レノンの側に立つようなイメージを喚起する映像のわけで、観客はその刷り込みの効果によって必然的にジョン・レノンの味方となるのだ。
このように書くと、この作品には中立性が欠けているように見えるかもしれない。それはドキュメンタリーとしてどうなのかと。実際のところこの作品は中立性に欠けている。しかし、ドキュメンタリーが中立でなければならないということなどないし、そもそも中立なドキュメンタリーなど存在しやしないと私は思う。ドキュメンタリーとはつまり、何かをドキュメントする(物語る)ものであり、そこには必ず作り手の視点というものが入ってくくる。ドキュメンタリーの作り手は、自分が信じるようにしか事実を構築することができない。それは恣意的な操作ではなく選択である。そして選択は映画を作るうえでどうしてもしなくてはならないことなのだ。
だから、中立かどうかでドキュメンタリーの良し悪しを語ることはできないし、むしろひとつの意見を観客に納得させるもののほうが映画として力があるのだと私は思う。ただ、それがプロパガンダに堕してはいけない。プロパガンダは反論を許さない。見るものに考える余地を与えない。それは優れた映画だとは私には思えない。
この作品には反論の余地があるし、ことさらにニクソンとブッシュを重ね合わせようとするのも、作品をこの事件が現代でも起こりうるのだという警鐘として働かせようという意図である。しかし、まったく同じことは起こりえないのであり、この事件と現代とを比べる段階で必ず見る人それぞれの考える余地がそこに存在する。
スリリングだった展開が、ビザの問題にすり返られたあたりで作品としてもトーンダウンする。この先は少し退屈になるのだが、それはジョン・レノンが結局このビザの問題によって活動をトーンダウンさせざるを得なかったことにリンクしているように思える。それはつまりFBIの戦略が成功したということなわけで、それはなるべく表に出したくないわけだ。そのような妨害にも負けずジョン・レノンはアメリカにとどまったということでジョン・レノンの「勝ち」という結論に持っていこうとするのだが、そこにはわずかな敗北感も漂う。
そこも含めて、私はこの作品が好きだ。もちろんジョン・レノンの音楽は素晴らしい。この映画を見て、ジョン・レノンのCDを手にしたいと思わない人はいないはずだと私は思う。そしてジョン・レノンのCDを手にすれば、人は少なからず平和に思いを馳せるはずだ。