迷子の警察音楽隊
2007/12/17
Bikur Hatizmoret
2007年,イスラエル=フランス,87分
- 監督
- エラン・コリリン
- 脚本
- エラン・コリリン
- 撮影
- シャイ・ゴールドマン
- 音楽
- ハビブ・シェハデ・ハンナ
- 出演
- サッソン・ガーベイ
- ロニ・エルカベッツ
- サーレフ・バクリ
- カリファ・ナトゥール
イスラエルの空港に降り立ったエジプトのアレクサンドリア警察音楽隊、演奏に呼ばれたはずが迎えはやって来ない。隊長は自力で目的地に行こうと隊員の一人カーレドに行き方を聞かせるが、たどり着いたのは目的地の“パタハ・ティクバ”と1字違いの“ベイト・ティクバ”だった…
イスラエルの小さな町に迷い込んだエジプトの警官隊の一夜をおかしさいっぱいに描くエラン・コリリンの監督デビュー作。2007年のカンヌ映画祭で国際批評家連盟賞、“一目惚れ”賞、ジュネス賞を受賞した。
水色の制服に身を包み、大きな楽器を抱えたおじさんたちが異国の地で途方にくれる。ただそれだけでおかしさがこみ上げてくる。おじさんというのは大体頑固で、自分の非を認めようとしない。失敗を失敗と認めず、取り繕おうとして傷口が広がる。この団長もそんなおじさんなのだけれど、そこか愛嬌があって憎めない部分もある。そしてそんなおじさんをなぜか好きになってしまったらしいカフェの女主人、そこに生まれるドラマはおかしくてどこか切なく物悲しい。
イスラエルとエジプトとは隣国だけれど、戦争もしていたし、その後も決して仲はよくなかった。しかし、最後にディナが言うようにイスラエルではエジプト映画が毎週放映され、人気を博していたという。仲は悪くとも文化的には決して遠くなく、途中で流れるイスラエルの歌謡曲と音楽隊が演奏するエジプトの楽曲もどこかに通っているようにも聞こえる。そして、イスラエルというとヨーロッパ系という印象が強いが、この主演のサッソン・ガーベイのようにアラブ系ユダヤ人も決して少なくはない。さらに言えば助手のシモンを演じたカリファ・ナトゥールと若い団員カーレドを演じたサーレフ・バクリはイスラエル在住のパレスティナ人である。
こう書くとどうしても政治のにおいがしてきてしまうわけだが、この作品にはまったく政治的な主張は登場しない。それはカフェには一タダ人が、壁にかかった戦車の写真のそっと帽子をかけるシーンに象徴されている。エジプトとイスラエルの間には思い出せば嫌なこともたくさんあるが、今はそれを忘れて隣人として付き合おうという意図が両方から感じ取れるのだ。
そして、この作品は中盤以降エジプト人とイスラエル人との交流が主題になっていく。もちろん中心は団長のトゥフィークとカフェの女主人のディナだが、それに加えてカーレフとカフェに住み込むパピとの交流、シモンとイツィクの家族の交流、さらには恋人からの電話を待つ男と大使館からの電話を待つ団員との公衆電話をはさんだ奇妙な交流、それらからはやはり個人と個人が交わるときには国境は関係ないのだということが明らかになる。もちろん言葉も違えば文化も違う、だから違いはある。しかし人間たるもの誰一人として同じ人間はいないのだから、言葉や文化の違いも、そんな差異のひとつに還元できてしまうのだ。
この作品は強いメッセージは打ち出さず、むしろオフビートで淡々としたまま進む。それはどこかアキ・カウリスマキのフィンランドを思い出させ、メッセージではなくイメージよって語ろうとしているように思える。荒涼とした砂漠にポツリと立つ団地に象徴されるベイト・ティクバと実際には登場しないけれどネオンに彩られた大都会のアレクサンドリア、その対比はそれはあくまでも差異であって断絶ではないということをイメージとして私たちに伝えるのだ。
イスラエルとエジプトという提題からは小難しいようなイメージが浮かぶが、作品はそれを覆し、平和で和やかなイメージをわれわれに残す。古きよき時代といってしまえばそれまでだが、人間と人間とが直接出会うときには今もこのような交流があることを信じたいものだ。