キング 罪の王
2007/12/30
The King
2005年,アメリカ,105分
- 監督
- ジェームズ・マーシュ
- 脚本
- ジェームズ・マーシュ
- ミロ・アディカ
- 撮影
- アイジル・ブリルド
- 音楽
- マックス・エイヴリー・リクテンスタイン
- 出演
- ガエル・ガルシア・ベルナル
- ウィリアム・ハート
- ペル・ジェームズ
- ローラ・ハリング
- ポール・ダノ
海軍を除隊となったエルビスはコープス・クリスティという小さな町にある教会にやってくる。そしてその牧師デビッド・サンダウに自分が何者であるかを告げる。デビッドは家族にエルビスと関わらないよう言うが、エルビスはデビッドの娘マレリーに近づく…
ガエル・ガルシア・ベルナルが無表情な主人公を好演。監督はヤン・シュワンクマイエル作品の共同監督などをしているイギリス人のジェームズ・マーシュ。
物語の意図はわかる。まだ見ぬ父を求める青年が、その父親に拒絶されたとき、どのような行動をとるかということだ。しかも、その父親は前衛的な教会の牧師となってそれなりの財を築き、二人の子供も持って幸せに暮らしている。一方エルビスのほうは母も亡くし、軍隊を経験し、決して恵まれた暮らしとはいえない。そんなエルビスが父デビッドの家庭に入り込もうとするとき、そこには秘密と憎悪と愛情とが複雑に絡み合った複雑な物語が出現する。
しかし、この映画はただそれだけなのだ。自分のほうを振り向いてくれない実の父と曲がりなりにも関わるためにその娘マレリーにエルビスは近づき、それは徐々に悲劇へと摩り替わっていく。それを見せられたからといって、だからなんだという感じ。その物語の展開に面白みがあるわけでもなく、主人公の心情が克明に描かれているわけでもない。むしろ無表情な主人公の心情は観客から隠されており、彼の意図は不気味な雰囲気の裏に隠されてしまっているのだ。
これでは、観客はいったいどこに自分の位置を定めていいのかわからなくなってしまう。逆恨みに近い復讐を果たそうとする主人公か、それとも自分の体面のために自分の過去を振り返ろうとしない父か、何も知らない娘か。
これが現代アメリカの抱える問題のいったんであるということはわかる。家庭環境の複雑化と、宗教の顕在化。宗教はビジネスとなり、人々を安易に救う免罪符になってしまった。
中にデビッドの息子ポールが学校に対して進化論の代わるカリキュラムを組むように要請するというシーンがある。これは実際に今でもアメリカではあることで、進化論を信じていない人たちもたくさんいる。この宗教的偏屈さはアメリカにさまざまな問題を生み出しているだろう。
デビッドはエルビスの問題に対して、「すでに神の赦しを得た」と言い放つ。その神は彼の神であり、エルビスにはまったく関係のない神だ。しかし彼はそう信じ、それがエルビスにも当てはまると考えてしまう。そのような独善的というか一方的な決め付けは絶対的な存在である神を前提としてしまうと容易に他者をないがしろにできてしまう。それが人々の感情を傷つけ、反目させ、悲劇を生む。
まあ、じっくりと考えればそのような問題がここには描かれているということがわかるのだが、この作品の時間のすすみ方は、あまりに遅く、しかも退屈で、物語の展開としても映画がすすんでいる間にそのようなことを考えさせるような展開にはなっていない。
もう少しうまくすれば含蓄のある面白い作品になっていたような気もするのだが、おそらく映像の使い方が単調すぎたり、不必要に凝ったショットを使いすぎたりしているせいで全体が凡庸なものになってしまっているのではないか。
ただ、ガエル・ガルシア・ベルナルはやはり魅力的な俳優だ。この作品では妙に背が低く見えるが、それが弱々しさを演出し、不気味な怖さを生み出している。作品としてはあまり面白くないが、ガエル・ガルシア・ベルナルのファンなら観てもいい作品だと思う。