カポーティ
2008/1/3
Capote
2005年,アメリカ,114分
- 監督
- ベネット・ミラー
- 原作
- ジェラルド・クラーク
- 脚本
- ダン・ファターマン
- 撮影
- アダム・キンメル
- 音楽
- マイケル・ダナ
- 出演
- フィリップ・シーモア・ホフマン
- キャサリン・キーナー
- クリフトン・コリンズ・Jr
- クリス・クーパー
1959年11月15日、カンザス州の小さな町で一家4人が惨殺されるという事件が起きる。作家のカポーティはこの事件に興味を持ち、助手のネルとともに取材に出かける。取材中に犯人が捕まり、その一人ペリー・スミスに出会ったカポーティは、ペリーにひらめきを感じ、事件にのめりこんでいく…
トルーマン・カポーティが傑作『冷血』を書き上げるまでを描いた伝記小説の映画化。フィリップ・シーモア・ホフマンがアカデミー主演男優賞を受賞した。
カポーティの独特の風貌と独特の話し方、明確に語られているわけではないが明らかなけれのゲイとしてのキャラクター、これらを演じきったフィリップ・シーモア・ホフマンは確かにいい演技をしていた。彼の演技は完全にひとつのキャラクターを作り上げ、私たちは彼の演じるカポーティにいらだったり、彼の表情からその心理を読み取ったりできるようになる。
事件に興味を持ち、ネタとして取材を始めた彼がどんどん事件にのめりこんでいくが、その犯人の一人ペリー・スミスに出会い、取材の手段として彼を利用するうちに彼の中に迷いが生じる。彼は基本的にはペリーを利用しているのだけれど、ペリーを見た瞬間に感じたひらめきは作家としてのひらめきなのか、それとも一目惚れとも言うべきひらめきなのか、相手との距離が縮まるにつれどんどんわからなくなっていってしまうのだ。無表情な中にも彼のそのような心理が透けて見え、なかなか面白い。
しかし、作品のほうはそのような見事な心理描写をうまく生かしきっていないような気もする。淡々と描こうという意図はわかるのだが、あまりに淡々としすぎていて、カポーティがその事件を調べようとしたきっかけをはじめとして彼の行動の理由がほとんど明らかにならない。もちろんそれも推察させようという意図なのだろうし、その多くは“天才的なひらめき”のおかげということになるのだろうけれど、それではあまりに物語としての面白みがない。物語が展開していく上で、観客の興味を引くようなプロットがひとつあれば、もっとわかりやすく面白い映画になったのだと思うのだが。
そして、その説明不足もあって、作品全体としてカポーティをどのように描こうとしていたのかということも見えにくい。さまざまな部分で彼の天才をほのめかし、最終的に完成した作品『冷血』が傑作であったことからも、彼を持ち上げているし、彼がその後ひとつとして作品を完成させることができなかったということを説明として加えることによっても彼の人間性を評価しているように見える。しかし、彼は平気で嘘をついてペリーを利用するような人間で、ある意味では自分の作品のためには人の命も顧みないというような人物である。
結論としては、彼は自分自身すらだますことができるくらいに嘘がうまいのだけれど、自分自身をだましていることに気づいていて、その自責の念に耐えられなくなってしまったということなのだと思うが、そうだとしてもそれはあくまでも自分自身の中での問題であって、彼が周囲に対して何か思いやりを持っているとは思えない。彼がこの『冷血』以後、作品を完成させることができなくなったからといって、それで彼の人間性を証明することにはならない。
いったいこの作品は何を描きたかったのか、前半はカポーティという作家がひとつの作品を作り上げる過程を描くということでなかなか興味深かったのだけれど、後半に入りカポーティの人間性がテーマとして出てくると、いまひとつ焦点が定まらなくなってしまう。
カポーティは有名な作家だけれど、彼がどう考えたところでたいした問題ではないと思わせてしまっては、映画としては失敗といわざるを得ないだろう。やはり作家はその人間性よりも作品で語られるべきなのだ。こういう伝記は時に面白いこともあるが、退屈なものに終わってしまうことも多い。