サハラに舞う羽根
2008/1/9
The Four Feathers
2002年,アメリカ=イギリス,132分
- 監督
- シェカール・カプール
- 原作
- A・E・W・メイソン
- 脚本
- マイケル・シファー
- ホセイン・アミニ
- 撮影
- ロバート・リチャードソン
- 音楽
- ジェームズ・ホーナー
- 出演
- ヒース・レジャー
- ウェス・ベントリー
- ケイト・ハドソン
- ジャイモン・フンスー
- マイケル・シーン
1888年、英国陸軍の士官となったハリーの師団はスーダン行きを命じられる。婚約したばかりのハリーは親友のジャックにも黙って除隊する。除隊したハリーは婚約者エスネに会いに行くが、そこに友人から臆病者を意味する白い羽根が送られてくる。エスネにも臆病者と思われたハリーは悩んだ末、一人スーダンに赴く決意をする…
英国の古典的名作「四枚の羽根」を『エリザベス』のシェカール・カプール監督で映画化。
物語の始まりは主人公のハリーとエスネの婚約、ここでハリーの親友ジャックがエスネに熱い視線を送り、彼のかなわぬ恋がこの物語のひとつの軸であることが明らかになる。そして、ハリーが前線へ行く直前に除隊を申し出て、彼のもとに臆病者を意味する白い羽根が送られてくる。しかし、いったい彼は何がしたかったのか。前線に派遣される直前に除隊したら臆病者といわれることはわかりきっていたことだ。にもかかわらず白い羽根が送られてきて思い悩み、結局一人スーダンに行くってのはよく意味がわからない。
前線に送られる兵士に向かって神父がキリスト教徒としての職務やら異教徒についてやら語るシーンが非常に不快だが、そこからしてハリーは自分が死ぬことが怖かったことよりもその戦いそのものに意味を見出せなかったということなのだろうけれど、結局スーダンに行って英国軍を助けるんじゃ元の木阿弥では無いか。ある意味では勇気を出して除隊を申し出た彼と、スーダンに渡った彼の蛮勇との間にどうもつながりが見えてこないのだ。
しかし、それでもスーダンに渡った彼が「なんとかしようとしている」部分の展開はなかなか面白い。砂漠で瀕死だったハリーを発見したアブー・ファトマが彼を“神に使わされた者”と見て、彼を支え、ふたりで大きな敵に立ち向かっていく。彼らふたりを結びつけるのが“神”であるということは、宗教は異なっていても、その神はひとつであるというメッセージを感じさせる。それぞれが勝手に“神”を持ち出した戦いの中で、その神に結び付けられてその無益な戦いを終わらせるために戦う二人のヒーロー、この物語で描きたかったのはその物語なのだろう。その試みは今ひとつ成功しているとは言いがたいが、同じ戦いがまさに繰り返されている今、そのことを語るのには意味がある。もうちょっとうまく語ることができれば面白い作品になったと思うのだが。
このあたりはパキスタン出身のシェカール・カプールらしい翻案だろうか。イスラム教徒はそもそもユダヤ教やキリスト教徒同じ神を信じていることを表明している宗教だ。そもそもは寛容でアブー・ファトマがいうように敵であっても埋葬しないで置いていくようなことは無い宗教であるはずのイスラム教が、原理主義という名の下、不寛容さによってキリスト教を前面に出すアメリカと殺し合いを繰り返すという現状を彼は19世紀末のアフリカに重ね合わせたのかもしれない。
しかし、最終的に物語を愛と友情に修練させてしまったので、そのメッセージはすっかり薄れてしまう。結局彼らは何のために戦っていたのか、戦いそのものが無益であるという印象を戦場では与えるのに、最後に再び恋愛と友情とのもつれがフォーカスされることで、そのテーマは背景へと後退してしまう。そのあたりがアメリカ=イギリス合作(アメリカが先ということは、アメリカ資本で製作されているということ)となったこの作品の限界か。監督としての力が感じられるシャカール・カプールにはぜひもっと骨太の作品を撮って欲しい。
それにしても、アブー・ファトマを演じたジャイモン・フンスーはいい役者だと思った。すでに『ブラッド・ダイヤモンド』などで2度アカデミー助演男優賞にノミネートされているからその実力は折り紙つきということなのだろうけれど、主役でアクション映画なんかとってもいけるんじゃないかな。これからちょっと注目してみたみたい。アメリカ生まれではなく、アフリカのベナン出身というのも注目に値する。