バッドアス!
2008/1/12
Baadasssss!
2003年,アメリカ,132分
- 監督
- マリオ・ヴァン・ピープルズ
- 原案
- マリオ・ヴァン・ピープルズ
- 脚本
- マリオ・ヴァン・ピープルズ
- デニス・ハガティ
- 撮影
- ロバート・プライムス
- 音楽
- タイラー・ベイツ
- 出演
- マリオ・ヴァン・ピープルズ
- ジョイ・ブライアント
- T・K・カーター
- テリー・クルーズ
- オシー・デイヴィス
1970年、黒人映画監督のメルヴィン・ヴァン・ピーブルズはエージェントにコメディ映画を作るよういわれるが、悩んだ末、黒人による黒人のための映画を作ろうと心に決める。2週間かけて案を練り、資金集めをはじめるが、前例の無い黒人映画に金は集まらず、結局メルヴィンは自腹で撮影を始めることに…
伝説的な“最初の黒人映画”『スウィート・スウィートバック』の製作秘話を『スウィート~』の製作者メルヴィンの息子マリオ・ヴァン・ビープルズが映画化したコメディ・ドラマ。
映画制作の裏話を映画にするというのは作ること自体は簡単だけれど、それを面白くするのは難しい。しかもそれが自分の父親が作った“伝説的”な映画だったりすると、賛美に終始してみているほうはどっちらけということにもなりかねない。
しかしこの作品は、困難に打ち勝って作られたその映画ができるまでの過程をある種のアドベンチャーとして描き、父メルヴィンのルールに従って娯楽映画として作り上げていることで成功している。これは黒人が映画を通じて立ち上がったという歴史を描いた壮大なドラマではなく、ひとりの黒人がさまざまな困難にもめげず1本の映画を作ったというだけの話なのだ。結果的にその映画が映画史の1ページに刻まれることになったとはいえ、彼は決して英雄ではなく、勇気と信念は持っていたが、短気で身勝手な男だった。自分自身その映画に出演までした監督は彼をあくまで人間臭く描くことで、その場にバイタリティを持たせ、リアルな映画に仕上げている。家族にまつわるエピソードも大げさでなく、押し付けがましくなくていい。
さて、この映画に描かれたほうの世界に話を移すと、70年頃というのはキング牧師暗殺(1968年)後、ブラック・パンサーを中心とする過激な運動が加熱していた頃だ。公民権法が制定される以前の60年前後よりさらに過激派の活動が激化していたといってもいいかもしれない。そんな中、映画は依然として差別構造の再生産装置になっていた。ステレオタイプを育てる映画という装置は黒人を無能で怠け者として描き、そのような意識を白人達に植え付け続けた。だから、差別を根本的になくすには、政治活動よりも草の根の文化活動こそ必要だったのだ。
だからこそ、このメルヴィン・ヴァン・ピーブルズの功績は大きい。彼の作品の観衆は黒人に限られていたわけだけれど、これを見た黒人達が自分達にも映画が作れることに気づき、彼らの作った映画が白人達に見られることで、みなの意識が変わっていく、そんな文化的な潮流の第一歩を彼を踏み出させたのだ。映画がそのような力を持つためには、まずその映画自体が面白くなければならない。いくらためになっても面白くなければ映画に客は入らない。客が入らなければメッセージは伝わらないというわけだ。
ここが娯楽であると同時に文化であり、芸術であり、それ以前にビジネスである映画というものの面白さでもある。映画が成功したり、後世に影響を与えたりする結果を生むためには運も必要だ。この『スウィート・スウィートバック』でいえば、アース・ウィンド&ファイアーとの出会いが最大の幸運だっただろう。音楽という黒人文化の中枢と結びつくことによってこの作品はより広く黒人社会に受け入れられることができた。
この作品はそんな幸運にも恵まれた映画の嫡出子、同じ主義にしたがって作られた双子のような作品だ。この作品を見たら『スウィート・スウィートバック』が見たくなるし、初期黒人映画についても知りたくなる。娯楽作品としてもそれなりに面白く、興味は尽きない。マリオ・ヴァン・ピープルズは93年の黒人によるマカロニ・ウェスタン『黒豹のバラード』で話題を呼んだ。この作品もなかなか面白そうだ。