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ベストセラー

ヒトラーの贋札

★★.5--

2008/1/18
Die Falscher
2007年,ドイツ=オーストリア,96分

監督
ステファン・ルツォヴィツキー
原作
アドルフ・ブルガー
脚本
ステファン・ルツォヴィツキー
撮影
ベネディクト・ノイエンフェルス
音楽
マリウス・ルーランド
出演
カール・マルコヴィクス
アウグスト・ディール
デーvヒト・シュトリーゾフ
マリー・ボイマー
ドロレス・チャップリン
preview
 第2次大戦終結直後、大金を持ってモンテカルロにやってきたサリーは戦争中のことを思い出す。ユダヤ人で天才的な贋札師だった彼はナチスにつかまり、収容所に送られるが、ナチスが贋札によってイギリス経済に打撃を与えようという“ベルンハルト作戦”が開始されるとそのために借り出される。
  実際にベルンハルト作戦に関わったユダヤ人生存者アドルフ・ブルガーの自伝を映画化したスリリングな戦争ドラマ。
review

 ナチスが贋札を作ることによって戦況を好転させようとし、収容所に入れられたユダヤ人たちがそれに協力させられる。しかし彼らにはやわらかいベッドや十分な食事という待遇が与えられる。贋札を作ることはナチスに利し、それはつまり戦争が長引いて、あるいはナチスが勝ってしまうことを意味する。しかし、サボタージュは自らの死に直結する。
  これは非常にうまい舞台装置だ。ナチスというのは本当にひどいことをしたけれど、本当にいやになるくらい人を操るのがうまい。どのように恐怖を利用すれば人を操ることができるか、それを知り尽くしているのだ。
  たとえば、彼らがすぐ隣にいる普通のユダヤ人収容者と完全に隔離され、彼らの姿が見えないというのは非常に重要だ。音は聞こえるけれど姿は見えない。彼らの苦難は想像できるけれど、実際に目には触れない。そのため努力すれば彼らのことを忘れることはできる。だから贋札作りができるのだ。
  これは非常に重要な点だ。人は実際に見えないものに対してはそれほど感情を揺さぶられない。自分の行為が人の死につながっているとわかっていても、それが直接目に触れなければ、文字通り目をつぶることはそれほど難しいことではない。
  しかし、その死が目の前にいる人や個人的に知っている人の身に降りかかってくると話は変わってくる。だから自分の子供の旅券を見つけてしまった男は死ぬほど苦しみ、ヘルツォークはサボタージュを続ければそこにいる仲間を殺すと脅すのだ。

 ただ、ブルガーだけは目に見えぬ同胞のために自分の命を賭すこともいとわない。彼の存在が他の仲間に、目に見えない同胞がいることを思い出させ、そこにジレンマを生じさせるのだから、彼の存在はこの物語においては非常に重要だ。しかし、これがブルガーの原作というところが眉唾でもある。ある意味ではナチス協力者であった彼らは戦後になると自分の保身をしなくてはならなかったはずだ。ブルガーもまたそうで、彼は自分自身の正当化のためにこのような自伝を書いたのではないかと思ってしまう。本当に死の恐怖に打ち勝って何週間もサボタージュを続けたとはとても思えない。できてもせいぜい数日というところだろう。もちろん原作はもっと真摯に事実に基づいて書かれているのだろうとは思う。映画として盛り上げるために書き換えたのだろうが、それは果たして作品にとってプラスだったろうか? 緊迫した数日間を描いたほうが面白かったのではないかなどとも思ってしまう。
  まあ、彼の行動の説得力のなさはともかく。この作品は全体的に現実感を欠いている。もちろん、強制収容所の悲劇を描いたほかの作品に比べて悲惨な境遇には無いということもあるのだが、それにしたって全体的にきれい過ぎやしないかと思う。そのきれいさはどうも作り物じみていてリアルに感じられない。そもそも、最初のシーンで浜辺に座るサリーの背後にモンテカルロが見えるのだが、そこを走っている車がどう見ても今の車に見えてしまうところから興ざめだ。
  過去を舞台にした映画というのは完全に作り上げられた世界であり、そこに小さなほころびでもあれば、その世界全体が崩れ落ちてしまう。そうならないようにこれまでさまざまな技術が磨かれてきたはずなのだが、この作品はその技術が生かされていない。ものを古く見せるためのいわゆる「汚し」をしっかりとやればよかったのだろうし、今ではCGを使うという方法もある。いくら物語の設定が面白くとも、映画の基本である映像の部分でほころびが出てしまっては作品の面白さは半減だ。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: ドイツ

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