しゃべれども しゃべれども
2008/1/20
2007年,日本,109分
- 監督
- 平山秀幸
- 原作
- 佐藤多佳子
- 脚本
- 奥寺佐渡子
- 撮影
- 藤澤順一
- 音楽
- 安川午朗
- 出演
- 国分太一
- 香里奈
- 森永悠希
- 松重豊
- 八千草薫
- 伊東四朗
古典にこだわる二つ目の落語家今昔亭三つ葉は師匠の話し方講座についてゆき、そこで途中で席を立った美女十河五月を呼び止める。お茶を教える祖母の弟子の一人に甥に落語を教えてくれと頼まれた三つ葉はその少年村林と十河、さらに不意にやってきた元プロ野球選手の湯河原の3人を生徒に落語教室を始めるが…
佐藤多佳子の同名小説の映画化。情緒が残る下町を舞台にしたほっとするようなヒューマン・ドラマ。
最近は落語ブームだったり、昭和ブームだったりするので、こういう映画はヒットしてもいいと思うのだがいかんせん地味だ。落語がモチーフとは言っても、落語会について何かを描いたり、落語の噺がモチーフになっているというわけではなく、二つ目の噺家が主人公というだけし、昭和の情緒が残る下町が舞台だが、それほどノスタルジーを掻き立てるような風景が次々と出てくるわけではない。
それは、この作品の舞台である落語や下町が懐かしいものとしてではなく、いわゆる“現代”から少し取り残されてしまったものの象徴として現れているからだろう。いわゆる“現代”の東京といえばやはり渋谷や青山や六本木のような都会なわけだが、そんな東京の中にもそこからは取り残された場所があり、人々がいる。これはそんな人たちの日常や悩みを描いた物語なのだ。
だから、いわゆる“現代”の日常とは少し違う世界を描いているようで、その内容はまったく変わらないと言っていい。三つ葉の悩みは落語家として一皮向けないという悩みだが、それは落語家に限らずどのような職業の人でも持つ悩みだ。
だから、この作品は誰でも共感できる作品になりえたと思う。しかし、実際はどうもこのそれぞれの人物設定がいまひとつで、なんだかぼやんとした印象になってしまった。主人公の三つ葉はおそらくいい人なんだけれど、下町っ子らしいがさつさとシャイな部分を併せ持ったという人物像なのだろうけれど、その感じがいまひとつ描ききれておらず、いきなりがさつになったり、いきなり繊細になったりする男に見えてしまうし、香里奈演じる十河もただただ無愛想な人物に見えてしまう。
この映画はその人物像のあいまいさを映像で補おうとしていて、たとえば発表会にやってきた人が帰ったということを靴の少ない玄関を映しただけで表現したり、なかなかいいショットもあるんだけれど、映像に語らせようとしすぎるあまり不必要なスローモーションやクロースアップも出てきてしまう。そのあたりがこの作品がどうもばらばらな印象与える原因になっているのだろう。
ただ、村林少年を演じた森永悠希はかなりいい味を出していた。関西人らしいお調子者だが、繊細なところもあり、かなり気を使う子供でもあるという村林を非常にうまく演じ、他の大人に引けをとらないどころかくってしまうくらいの演技を見せている。かといって生意気な餓鬼というわけではない子供らしいかわいさもあって、この作品で一番存在感が合ったのではないかと思う。
それを考えると、この2時間弱という時間に4人の主要登場人物の4つのエピソードを詰め込んでしまったということも作品にまとまりがかけてしまった原因になってしまったのかもしれない。特に湯河原のエピソードはほとんど語られず、添え物のようになってしまったし、最終的にはラブストーリーなのに、その過程の感情の機微のような部分はまったく描かれていない。
これは色々な素材を詰め込みすぎて、それぞれの素材が互いのよさを打ち消しあってしまった料理のような作品だ。結果的に全体はぼんやりした印象になってしまい、つまらなくはないのだがほとんど印象には残らない。
でも、国分太一は着物が似合うと思う。