北の橋
2008/1/22
Le Pont Du Nord
1981年,フランス,127分
- 監督
- ジャック・リヴェット
- 脚本
- ビュル・オジェ
- シュザンヌ・シフマン
- ジャック・リヴェット
- 撮影
- ウィリアム・ルプシャンスキー
- カロリーヌ・シャンプティエ
- 音楽
- アストル・ピアソラ
- 出演
- ビュル・オジェ
- パスカル・オジェ
- ピエール・クレマンティ
- ジャン=フランソワ・ステヴナン
原付バイクでパリの街を走り回る若い女バチストがよそ見をしていたために、閉所恐怖症らしい女性マリーにぶつかりそうになる。怒ってバイクを乗り捨てたバチストとすぐにその場を離れたマリーだったが二人はすぐに再会、バチストがマリーの頼み後をを引き受けると、バチストはマリーに付きまとうようになり…
夭逝したパスカル・オジェが母ビュル・オジェと唯一共演した作品。パリを舞台に散漫だけれどスリリングな物語が展開される。
原付バイクにまたがって無言でパリの街を疾走する若い女、ライオンの彫像に見とれ、バイクを買ったばかりらしい男にちょっかいをかける。トラックの荷台に載って移動してきた女はカフェに入るだけで息切れし、店の外からパンを買う閉所恐怖症。この奇妙なふたりが出会うという不思議な物語。そして、このふたりが出会っても物語は一向に展開しない。転倒したバイクを乗り捨てたバチストはそもそも何が目的で何をしているのかもわからない。マリーのほうは恋人と会おうとしているのはわかるが、閉所恐怖症なのでどこにもいけない。
しかし、バチストがマリーの恋人との逢瀬をのぞき見て、彼女がちょっかいをかけたバイクの男がマリーの恋人ジュリアンのかばんをすり替えようとしているのを見つけて話は突然サスペンスになる。とはいってもあまりに謎が多い。バチストが盗み出したマリーの恋人ジュリアンのかばんから出てきた地図や記事は謎を呼ぶが、それがいったい何を示しているのかはマリーやバチスト同様私たちにもまったくわからない。さらにマリーの過去がほのめかされたり、バイクの男がたびたび現れたりして謎はどんどん深まって、引き込まれていくのだけれど、それでもなんだかわからない。
そしてそのわからなさは最後まで続く。謎として提示された謎は最後まで答えが出ず、すり替えでは無いけれど、本題とはまったく関係ないように思えるエピソードで映画は幕を閉じる。
しかし、なぜだかこの作品は面白い。パリの街をあてもなくさまよう疾走感と、さりげなく呼応するピアソラの音楽、主人公のふたりの魅力、いつも曇っているようなパリの街の魅力。おしゃれで輝くパリではなく、いつも工事中だったり、ごみが散らかったりしているパリにもなんともいえぬ魅力がある。そのよくわからない魅力とよくわからない謎で2時間という時間を持たせてしまうというのはすごい。
その理由は何かといえば、この映画がほとんどバチストの主観から作られているという点が最も重要だろう。時々はバチストが見ているはずの無いシーンも出てくるのだが、それはあくまで補完的なもので、基本的にはバチストのいるところが映され、彼女の主観で物語は展開していく。そして、物語が進むにつれて明らかになるように、彼女は非常に風変わりな人物だ、もしかしたら知恵遅れか精神に問題があるのかと思わせるくらいに風変わりで、ほとんど食事も取らない。そんな彼女の予想も付かない行動に私たちはひきつけられてしまう。
聞くところによるとこの作品は『ドン・キホーテ』がモチーフになっているらしい。確かに妄執に取り付かれてしまったドン・キホーテとこのバチストは重なり合う。『ドン・キホーテ』も何が起こるとは無いにもかかわらず、かなり長い物語を読ませてしまう魅力がある。人の好奇心とは自分が理解できないものに向けられる。それを巧妙に利用したという点でこの作品と『ドン・キホーテ』には共通点があるといえるだろう。
そして、それがただの幻想ではなく、現実の中に組み込まれているというところも面白い。幻想の世界を旅するのではなく、幻覚じみた現実が本当の現実の一部として展開される。そこからは不思議さ、戸惑い、そして好奇心といった様々なものが湧き出てくる。それが魅力なのだ。
もちろん「だからどうした」という話ではある。しかし、そんなどうでもいいようなことが、実はいかにも重要そうな物事よりずっと大事だったりすることもある。まあ、だからどうってことも無いんだけど。