ヴィトゲンシュタイン
2008/1/29
Wittgenstein
1993年,イギリス=日本,75分
- 監督
- デレク・ジャーマン
- 脚本
- デレク・ジャーマン
- テリー・イーグルトン
- 撮影
- ジェームズ・ウェランド
- 音楽
- ジャン・レイサム=ケーニック
- 出演
- クランシー・チャセー
- カール・ジョンソン
- マイケル・ガフ
- ティルダ・スウィントン
天才的な哲学者として知られるヴィトゲンシュタイン、オーストリアに生まれ、ケンブリッジで学んだ彼の人生はどのようなものだったのか。
鬼才デレク・ジャーマンがヴィトゲンシュタインの一生を描いた伝記映画。黒い背景の前で人々が演じる演劇のようなスタイルで、緑の火星人を登場させるなど幻想的な演出もくわえたデレク・ジャーマンらしい作品だが、ヴィトゲンシュタインの思想をしっかり伝えようという意欲も感じられ、比較的見やすい作品となっている。
ヴィトゲンシュタインという天才をデレク・ジャーマンという鬼才が映像にする。難解なヴィトゲンシュタインの思想を、難解なデレク・ジャーマンの映像で解釈する。このような映画が凡人には理解出来ない難解な映画になるであろうことは想像に難くない。そう思ってついつい敬遠してきたのだけれど、もしかしたら難解さと難解さが出会ったとき、そこにまったく違うわかりやすさが生まれることもあるのかもしれないと期待して作品を見てみた。
序盤ははっきり言ってまったくわけがわからない。ヴィトゲンシュタインの少年時代について語られ、片手のピアニストの兄や画家の姉が登場、少年ヴィトゲンシュタインの苦悩が語られ、話し相手あるいは哲学問答の相手として緑色の火星人が登場する。しかも、映像はずっと真っ暗な舞台の上に登場人物だけがいて、そこにスポットライトが当たっているようなもので、場面設定を説明するようなものも一切ない。そして、ヴィトゲンシュタイン少年のひとり語りはまったく難解で、そもそも何が話題になっているのかすらわからない。
しかし、中盤に差し掛かり、ヴィトゲンシュタインとバートランド・ラッセル(ヴィトゲンシュタインの先生となる哲学者)とメイナード・ケインズ(あの有名な経済学者ケインズ、ケンブリッジの同僚)を中心に展開されるようになると、だんだん面白くなってくる。特にヴィトゲンシュタインのセミナーで彼が自分の思想を説明することで、観客にも彼の考え方が多少ではあるが伝わってくる。言葉やコミュニケーションの問題、その問題はヴィトゲンシュタイン自身の存在の可否にまでかかわってくるような問題なのだ。
それでももちろん、この映画で語られるのは果てしなく哲学の問題だ。哲学的な素養な必要とは思わないが、哲学的な姿勢が少なからずないと見るのはつらいかもしれない。しかし、この映画を見ながらボーっと考えていると、生きて言葉を扱うこと自体が一種の哲学的な姿勢であり、人と何らかのコミュニケーションを取っている人が哲学的ではないということはありえないという気になってくる。哲学というのはごく当たり前のものであって、それを難しくしているのは哲学者なのだ。
ならば、生きることに対して多少なりとも意識的でなければこの映画を見るのはつらいかもしれないと言い換えようか。この作品にはデカルトとかフロイトとかいろいろな名前が出てきて、それを知らないと作品が理解できないようにも思えるが、根幹のところではそれは関係ない。問題なのは、ヴィトゲンシュタインがいったい何に悩んでいるのかということだろう。不意に考え方を変えたり、労働者になろうとしたり、果ては自殺をしようとしたりするヴィトゲンシュタインの苦悩の根本にあるものが何であるのか、それを考えようとすることがこの映画を「見る」ということなのではないかと思う。
私はヴィトゲンシュタインの思想にはまったく親しみがないが、言葉やコミュニケーションという問題については大いに興味がある。この作品を見て、彼が言葉ともの関係について語り「自然だ」という考え方について太陽と地球の関係(太陽が地球の周りを回っていると考えるほうが「自然」だが、事実は地球が太陽の周りを回っているのだ)を持ち出して説明するそのスタンスに興味を覚える。この文章を成り立たせている言葉という記号は、果たして読む人に何を伝えているのか。あらゆる人々が日常に発する言葉は聴く人に何を伝えているのか。そんなことを考え始めると、まったくきりがない。
デレク・ジャーマンはそんなヴィトゲンシュタインの思想の根本を伝えるという目的のために、映像を限りなくシンプルにしていったのではないかと思う。これが普通の映画のように部屋の中や街の中で演じらる劇だったとしたら、そこに映り込むあらゆるものが記号としての意味を持ち、セリフとして発せられる言葉の意味を薄めてしまう。それを避けるために背景も音楽もすべてをそぎ落としていった。そんな風に思えてならない。