歓喜の歌
2008/2/1
2007年,日本,114分
- 監督
- 松岡錠司
- 原作
- 立川志の輔
- 脚本
- 松岡錠司
- 真辺克彦
- 撮影
- 岡林昭宏
- 音楽
- 岩代太郎
- 出演
- 小林薫
- 安田成美
- 伊藤淳史
- 由紀さおり
- 浅田美代子
- 藤田弓子
- 根岸季衣
とある地方都市みたま市の文化会館はやる仕事も特になく、主任の飯塚も無気力に過ごしていた。年も押し迫った12月30日、利用者からの電話で翌日の予約を確認した飯塚に部下の加藤がダブルブッキングではないかと指摘する…
立川志の輔の同名新作落語の映画化。個性的なキャストで落語の世界をうまく表現したハートフルなコメディ映画。
古典落語の映画化なら川島雄三の『幕末太陽傳』(映画化といっても居残り左平次をベースに複数の話を組み合わせたもの)がすぐに思い出されるが、新作落語の映画化というのは聞いた覚えが無い。古典落語は必ず舞台が江戸時代なわけだが、新作落語は現代の場合が多いので、映画化するにはやりやすいと思うのだが、いかんせん落語と映画というのはおおまかに“劇”としてくくれる娯楽の両極端にあるからいかんせん相性が悪いのかもしれない。
しかし、この作品は非常によくできている。まったくやる気の無い公民館の職員がダブルブッキングという窮地に直面して慌てふためく。そして彼にはさらに別の問題もあって、年末の2日間が想像もできないくらいのドタバタになるのだ。物語の中心はやはりこの飯塚主任で彼のだらしなさや意気地のなさが見る人に反感を引き起こすと同時に、そこから生じる様々なトラブルが笑いを誘う。彼のお調子者で場当たり的に何でもやってしまおうというキャラクターがなんとも絶妙だ。さらに彼の周りにいろいろのキャラクターが配されて小さな笑いを次々に産み落としていく。
そしてその脇のキャラクターのそれぞれにも物語があり、たくさんの人々が細かな関係でつながっている。そしてそれは単なる物語を進めるための関係というわけではなく、細かい心理の襞に至るまで丹念に描かれている。セレブなマダム達が集う合唱サークルである“みたまレディースコーラス”はただのいけ好かないおばさんたちの集団かと思いきや彼女達にもしっかりとストーリーがあり、ただの憎まれ役には終わらない。他方の“みたま町コーラスガールズ”のリーダーである安田成美演じる五十嵐純子が介護の仕事をしているというのも単に彼女の人柄を示すだけでなく、後々伏線としても効いてくる(安田成美がコーラス隊の一員ではなく指揮者だというのはある世代(『ナウシカ』世代)にとっては納得のキャスティングだが、まあここではあまり関係ない)。
様々な人が小さな物語を抱え、それが集まってひとつの大きな物語になるというのは、われわれも小さな物語を抱えて生きているものとしてリアリティを感じることができるし、同時に大きな物語に大団円がつけられることでカタルシスも感じることができる。この映画は基本的にはコメディ映画だと思うのだが、同時にヒューマン・ドラマでもあり、うかうかしていると感動してしまったりもする。
もとの落語は残念ながら聞いたことが無いのだが、一度ぜひ聞いてみたい。できることなら最初は生で。しかし、この作品がそのまま落語で語られるとはとても思えない。落語のほうも約1時間のかなりの大作らしいが、それでもこれだけたくさんの登場人物が出てくるというのは落語ではありえない。
だとるすと、ここに登場する様々な小さな物語というのは映画独自のの脚色なのだろうかなどとも考えたが、もしかしたらこの一つ一つが落語に登場するエピソードなのかもしれないとも思う。落語というのはまさにライブなものだから、話すたびに少しずつ変わってくるものだ。だからこの映画に登場する小さなエピソードのいくつかは落語に表れたり表れなかったりするエピソードの集まりなのかもしれないなどと思う。この落語の初演は2004年ということだが、それから3年余り演じる間にいろいろと変わってきた部分もあるのではないかと思う。
これはもちろん憶測だが、この映画のスケールの大きさは元の落語の奥深さを感じさせる。たった一人の人間が手ぬぐいとセンスだけで演じる落語という芸能と、100人を超えるような人々が協働して作り上げる映画という娯楽、この対照的なふたつが幸福に出会うことができたまれな例がこの作品だ。
ちなみに、北海道HTBによるテレビドラマ化も決まっているこの作品、テレビドラマのほうは一体どのようになるのだろうか? 映画としても面白いし、落語や音楽といった別のジャンルにも広がっていくというすごく楽しめる作品だ。