潜水服は蝶の夢を見る
2008/2/8
Le Scaphandre et Le Papillon
2007年,フランス=アメリカ,112分
- 監督
- ジュリアン・シュナーベル
- 原作
- ジャン=ドミニク・ボビー
- 脚本
- ロナルド・ハーウッド
- 撮影
- ヤヌス・カミンスキー
- 音楽
- ポール・カンテロン
- 出演
- マチュー・アマルリック
- エマニュエル・セニエ
- マリ=ジョゼ・グローズ
- アンヌ・コンシニ
- パトリック・シェネ
突然、病室で目覚めたボビーは目はぼんやりとしか見ることができず、体の自由はまったく利かない。少しずつ記憶をよみがえらせた彼はドライブの途中であったことを思い出す。自分が病院で麻痺状態にあることを知った彼は自暴自棄になるが、やがて言語療法士の協力を得て生きる意志を取り戻していく。
ELLEの元編集長ジャン=ドミニク・ボビーが左目の瞬きだけで綴った奇跡の自伝の映画化。素晴らしい物語と言葉そして映像、ジュリアン・シュナーベルはカンヌ映画祭で監督賞を受賞した。
この映画の始まりは非常にいらだたしい。焦点の定まらないぼやけた映像、光線は強すぎ、目の前にいる人の顔すらまともに見えない。しかし、この始まりこそがこの映画の素晴らしさのひとつである。主人公ジャン=ドーの感じた苛立ちと戸惑い、それを数週間も昏睡し続け、ようやく目を覚ました彼の目に映るそのまま(と想像されるよう)に再現する。そこに私たちが見るいらだちは、まさに彼が感じたいらだちであり、私たちはそれを追体験するのだ。
そしてこの作品はさらに彼の視線を再現し続け、彼の夢をも映像化する。その夢もなかなか理解し難い悪夢的なものだ。しかし映像は素晴らしい。それは必ずしも整ったものではなく、ゆがみやひずみがあり、しかしそこには美が宿り、力がある。
しかもずっとジャン=ドーの主観で進めるのではなく、時に彼を外側から見つめることもある。このとき、私たちが感じる解放感は、クローズド・シンドロームの彼には決して感じることのできない解放感なのだということも、この作品に深みを与えている。
そのような状況の中で、彼は本を書くのだ。「自分を憐れむのはやめた」というその一言で、彼は再び歩み始める。想像や思い出に逃避するだけでなく、“今の自分”と向き合い、言葉を瞼からひねり出していく。そしてその言葉がまた素晴らしい。私はその最初のほんの数行を聞いただけで原作を読みたくなってしまった。詩的で、思慮深く、少しの皮肉の効いた言葉、それは衝撃的ですらあった。
そしてこの作品を見ながらずっと思ったのは「愛はどこからやってくるのか」ということだ。この作品はあらゆる言葉、あらゆる仕草に愛があふれている。彼の言葉を我慢強く書き留め続けたクロードが彼に対して感じたのは“愛”に他ならないではないか。療法士のアンリエットも子供たちの母親のセリーヌも彼に愛を感じている。それは同情ではない。愛は突然ふらりと出現しわれわれを捕らえる。この作品はそのような愛にあふれているのだが、それはいったいどこから来るのか。
この作品が感動的なのは何故か。ジャン=ドーの「自分を憐れむことをやめた」勇気と周囲のひとの愛情、その愛が彼を勇気付けたのか、それとも彼の勇気が人々の愛をひきつけたのか。それともどちらでもないのか。大きなポイントとなるのは「死にたい」と綴ったジャン=ドーに対して療法士が怒るシーンだろう。彼女の怒りは彼に対する周囲の愛情の顕れである。愛は彼に生きるよう強いる。彼はそれに答えて生きる。それならば愛が先であり、その愛こそがこの作品に感動をもたらすものということになるのだが、やはり残る疑問は「愛はどこからやってくるのか」ということだ。
どんどん突き詰めて考えていけば、もしかしたら答えを見つけ出すことができるのかもしれない。しかし、それはこの作品とは関係の無いことのような気がする。この作品にとって重要なのは、この作品が「愛はいったいどこから来るのか」と考えさせるほど愛にあふれた映画だということだ。これは決して幸福な作品ではない。しかしそこには愛がある。愛は人を強くする。愛は自分勝手でもある。愛は行き違う。愛は奪う。しかし人は愛に生かされる。
この作品が素晴らしいのはその愛が画面からにじみ出てくるからだ。もちろん原作も素晴らしいが、脚色も、映像も、演出も素晴らしい。見ればどっぷりと世界に浸ることができ、愛を分けてもらうことができる。こんな作品はなかなか無い。これ以上、この作品について解説するのは無粋というものだ。見ればおのずと感じることができることをわざわざ書きたてることは無いだろう。