私は二歳
2008/2/10
1962年,日本,88分
- 監督
- 市川崑
- 原作
- 松田道雄
- 脚本
- 和田夏十
- 撮影
- 小林節雄
- 音楽
- 芥川也寸志
- 出演
- 船越英二
- 山本富士子
- 鈴木博雄
- 浦辺粂子
- 渡辺美佐子
- 岸田今日子
- 中村メイコ(声)
団地住まいの若い夫婦の間に生まれたひとり息子の太郎(ターちゃん)はいろいろといたずらをして怒られながらも、両親の愛情を浴びて元気に育ち、やがて2歳に。
松田道雄の育児書を原作に、2歳の子供の視線から作った異色の家族ドラマ。子育ての悩みは昔も今も変わらず、子供に翻弄される両親を船越英二と山本富士子が好演。おばあちゃん役の浦辺粂子もとてもいい。
市川崑といえば巨匠にも手が届くかという有名監督だが、彼の作品にはむらというかバリエーションというかぶれがある。凄く面白い作品もあれば、今ひとつ失敗作なんじゃないかと言うのもある。それはやはり彼がこの日本映画が量産されて時代にまだまだ若く、職人的に次々と作品を送り出して言ったからだろう。数を作れば、製作会社の以降によっては駄作も生まれてしまう。それは仕方の無いことだ。
しかし、彼の夫人である和田夏十(当初は市川崑との共同のペンネームだったが、51年から夫人の単独ペンネームとなり、共同ペンネームとしてはそれ以降「久里子亭」を使用)が脚本を書いたものにははずれが無い。映画を見ていて脚本家の違いに気づくことはなかなか無いのだが、和田夏十が書いた市川崑の作品には他の作品とは違う瑞々しさがある。この作品もそうで、なんとは無い物語で、船越英二も山本富士子も決して名優というわけではないのだが、それでも作品には生き生きとした雰囲気が出るのだ。
そしてこの作品が描く“育児”という題材は時代を超えて面白い題材だ。TVが庶民の手にはなかなか入らないような時代でも、育児に対する親の悩みは変わらない。ちょっとした不注意が深刻な事態を引き起こすかも知れず、子供に振り回される。しかし船越英二演じる五郎が言うように「子供の顔を見るといやなこともすべて忘れる」のだ。嫁と姑の確執は子育てに対する認識の違いから生じ、その対立は決して看過できるものではない。しかし子供に対する愛情はおんなじで、その表れ方が違うというだけのことだ。子供がその関係を難しくしているのだけれど、同時に子供が結び付けてもいる。昔から「子は鎹」というけれど、まさにその通りだ。
とくに2歳くらいの子供はいたずらをしても罪がなく、ほのぼのとして気持ちで見ることができる。親の心配やいらだちをうまく表現しながら、同時にほのぼのとさせる演出もなかなかのものだ。
山本富士子といえば元祖ミス日本、昭和30年代には本当に売れっ子だった。しかし、この人は美人だがやはりどうも演技はうまくない。この作品でも台詞回しも仕草も今ひとつうまいとはいえない。しかし、時々妙にリアルな表情を見せたり言葉を発したりして、それが効果的だったりする。
船越英二のほうも決して演技がうまいわけでは無い。しかも妻に「エゴイスト」といわれるくらいでこのキャラクターは今ひとつ性格もよくない。少々抜けてもいるが子供に対する愛情にあふれているということは表情からにじみ出ているようで、彼の出演シーンが一番ほのぼのしているといえるだろう。
その決してうまくは無い二人が作った雰囲気に浦辺久美子がのってなんともいえない空気感が生まれ、それがこの作品を面白くしたのだろう。平凡なはずの映画がいろいろな要素によってちょっと面白くなった。そんな映画だと思う。
ところで、小耳に挟んだので豆知識を。山本富士子は「とんでもございません」という言葉をはじめて使った人物といわれているらしい。「とんでもございません」という言葉は本来は誤った日本語なのだが(「とんでもない」は一語なので「ない」の部分だけが敬語になることは無い)、良家の子女でもあり、ミス日本でもある山本富士子が使ったことによってみなに認められ使われるようになってしまったという。(蛇足)