恋人
2008/2/18
1951年,日本,70分
- 監督
- 市川崑
- 原作
- 梅田晴夫
- 脚本
- 和田夏十
- 市川崑
- 撮影
- 横山実
- 音楽
- 服部正
- 出演
- 池辺良
- 久慈あさみ
- 千田是也
- 村瀬幸子
- 北原谷栄
遠藤誠一は幼馴染の小田切京子の家を訪ねる。京子は結婚して家を出てしまったが、誠一は京子の両親と時間を過ごす。そこで誠一は京子の結婚式の前日、京子と二人で1日を過ごしたときのことを思い出す。ふたりはお互いに恋心を抱えたままその一日を過ごしたのだった…
市川崑が梅田晴夫の「結婚前夜」を新東宝で映画化したラブ・ロマンス。市川崑にしてはオーソドックスな演出で芸達者ぶりを実感できる。
映画の始まりは、誠一が「おばさん」「おじさん」と呼ぶふたりを訪ねるシーンである。最初は本当に親戚の叔父さん叔母さんかとも思うのだが、まもなくそうではなく幼馴染の両親なのだとわかる。このあたりの映画のつくりや会話は松竹調(つまり小津っぽい感じ)を思わせる非常にオーソドックスなものだ。しかも、登場人物の感情も控えめに表現され、現代的な感情の吐露や激しさは見られない。
そして、その控えめな表現は最後まで崩れない。誠一の回想シーンになり、魅かれあうふたりがふたりが複雑な感情を抱えながら1日を過ごすという展開になってもなかなか感情は表に出てこず、腹の底のほうで渦を巻いているようだ。このあたりは小津というよりは成瀬を思わせる。表面の穏やかな感じとその背後に隠された激しい感情、それが一緒くたになって画面に表れる。
最後には現代的な京子の感情が表に出てモダンな感じにはなるのだけれど、それはあくまでも物語の現代性ゆえであり、この作品を支配するのは終始控えめな表現だ。
それでも、映像面ではモダニストとしての萌芽も見ることが出来る。映像は単にプロットを追い、人物を描写するための道具ではなく、そのもので意味を持ち、“ムード”を作り出すことが出来る。列車を映したインサートやスケートのシーンに見られるのは、そんなモダニストとしての意識ではないか。
市川崑は東宝系の製作会社にアニメータとして入り、後に東宝の助監督部に移籍、戦中に『娘道成寺』で監督に昇格するが、この作品の公開前に終戦を迎えたため、GHQによって公開が禁止された。その間に東宝争議が起き、市川崑は新東宝に移って48年にようやく監督としてデビューする。東宝争議が解決した後の51年に市川崑は東宝に復帰するが、この作品は新東宝時代の作品である。
この新東宝時代の市川崑は自分らしいスタイルを模索していたのか、それとも新東宝という基盤の弱い製作会社だったために製作に困難があったのか、さまざまなスタイルの作品を作っている。もちろんそれは昭和30年代に入る頃から確立されるスタイルへのステップであり、その多くは以後に生かされているわけだけれど、この作品に限っていえば、以後にあまり類を見ない雰囲気の作品といえるだろう。もちろんすべての作品を見たわけではないので、そう断言することは出来ないのだがが、60年代以降の彼の作品からはなかなか想像しがたい作品になっている。
この作品を見て、市川崑というクリエイターは底知れぬ魅力を持っていると改めて感じた。ひとつの“らしさ”を打ち出して巨匠となるのではなく、本当にさまざまな作品を作り出し、常に新しいことに挑戦し、(時には失敗作もあるにしても)面白い作品を次々と生み出していく。
この作品単体ではそれなりに面白いが、決して傑作ではない。しかし、苦労して監督になり10本目のこの作品には映画を作ることが出来る喜びがあふれているようにも思える。