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ベストセラー

ヴォイス・オブ・ヘドウィグ

★★★★-

2008/3/4
Follow My Voice: With The Music of Hedwig
2006年,アメリカ,101分

監督
キャサリン・リントン
撮影
ジョエル・ポメロイ
出演
ジョン・キャメロン・ミッチェル
オノ・ヨーコ
ヨ・ラ・テンゴ
ベン・フォールズ
ザ・ブリーダーズ
ジョナサン・リッチマン
ルーファス・ウェインライト
フランク・ブラック
ザ・ポリフォニック・スプリー
スリーター・キニー
preview
 ミュージカルから映画となりヒットした『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』このトリビュート版を作ろうという企画が持ち上がった。収益はニューヨークにある性的マイノリティの若者達が集まる学校ハーヴェイ・ミルク校を運営する協会に寄付されることとなって、次々とアーティストが参加する。
  オノ・ヨーコやベン・フォールズといったアーティスト達の収録風景とハーヴェイ・ミルク校の生徒達の生活を平行させて描いたドキュメンタリー。音楽の力を感じさせる感動作。
review

 このところ、映画を見ながら音楽の力を感じさせることが結構ある。映画というのは映像と音からできているものだけれど、音よりも視覚のほうが強く働きかけるし、映像が物語を構築していくことが多いから音というのはあくまでも脇役だったり、あくまでも補助的な役割しかしないということが多い。
  しかし、ミュージカル映画では音楽は主役になる。音楽が物語をつむぎ、映像はそれを補助する役割になるのだ。ただ、下手なミュージカル映画というのは補助的な役割である音が無駄にしゃしゃり出ているだけで結局映像の力に打ち勝つことができず、映画としてのバランスを崩してしまうことになる。本来しゃべるべきところを歌っているだけの映画、それはミュージカル映画ではない。

 この作品はミュージカル映画ではない。しかし、トリビュート版の収録風景を記録し、その音楽を前面に押し出し、ハーヴェイ・ミルク校の生徒達の生活風景の背景にも流し続ける。これによって音楽が強く主張する。この作品の主役はあくまでも音楽なのである。音楽が人々を救うとか、そういったことを声高に主張するわけではないが、『ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ』の音楽と子供達の生活がシンクロし、そこから強いメッセージが浮かび上がってくるのだ。
  それは、半端者でもいいということ。社会から疎外されても強く生きればいいということだ。その生き方こそがロックであり、人生はロックなのだ。ヘドウィグは男でも女でもなく、男と女からなる社会から完全に疎外された。しかし彼/彼女は存在し続けることによってすべての人たちに訴え続ける、境界という恣意的に引かれた線の無意味さを。
  ここで歌われる歌はそのことを歌い、ここに登場する生徒達はそれを生活で実践する。家族の無理解、同級生によるいじめ、それらは彼らに暗い影を落とし、逃げ場を求めさせる。ハーヴェイ・ミルク校は彼らの逃げ場であると同時に新しい出発の場だ。同じように社会から逃げざるを得なかった仲間達が自分を取り戻し、再び社会に立ち向かうために準備する場所、その彼らの生き方はヘドウィグと重なり、歌われる歌はまるで彼らを歌っているかのようだ。

 映画の最後にはプロデューサー自身が曲を聞きながら涙を流し、正式に高校として認められたハーヴェイ・ミルク校の初日の映像では賛成、反対双方のプラカードをもった人たちが学校の前に結集する。見ているとさまざまな思いが巡り、さまざまな感情が沸き起こる。
  面白い映画というのは映像によって比較的容易に作ることができると思うが、感情を揺さぶる映画には音楽が深く関わっている場合が多い。音楽というのは映画においても生活においてもそれだけ力を持っているのだ。この映画を見て思ったのは、ロックな生き方をしなきゃいけないということだ。ロックとは反抗的なだけではなく、弱者へのまなざしをも持った思想になったのだなどと考えたりした。
  そして、ここで作られたトリビュート版も聞きたくなるし、オリジナルのサウンドトラックも聞きたくなる。もちろん映画のほうももう一度見たくなった。

Database参照
作品名順: 
監督順: 
国別・年順: アメリカ2001年以降

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