ノー・カントリー
2008/3/13
No Country for Old Men
2007年,アメリカ,122分
- 監督
- ジョエル・コーエン
- イーサン・コーエン
- 原作
- コーマック・マッカーシー
- 脚本
- ジョエル・コーエン
- イーサン・コーエン
- 撮影
- ロジャー・ディーキンス
- 音楽
- カーター・バーウェル
- 出演
- トミー・リー・ジョーンズ
- ハビエル・バルデム
- ジョシュ・ブローリン
- ウディ・ハレルソン
- ケリー・マクドナルド
ガスボンベを手にした男が保安官に捕まるが、その保安官を殺して逃走、さらに逃走途中にそのガスボンベで男を殺す。一方、テキサスの荒野でハンティングをしていたモスは銃撃戦の現場を発見、その近くで大金を発見して持ち逃げするが、その夜、不用意に現場に戻ったことで追われる身になってしまう…
コーエン兄弟がコーマック・マッカーシーの『血と暴力の国』を映画化。アカデミー賞主要4部門を受賞した。ハビエル・バルデムがとにかく怖い。
映画の内容云々よりもとにかくハビエル・バルデムの“顔”が印象に残る映画だ。本来はトミー・リー・ジョーンズ演じる老保安官がストーリーテラーとして主役となり、ジョシュ・ブローリン演じるモスが逃げる男として物語を展開させる役割を果たすのだろうけれど、実際にはこのハビエル・バルデム演じるシガーが完全に映画をのっとっている。
彼の持つ武器のアイデアがこの作品を他の作品とはまったく違うものとし、シガーの恐ろしさが見るものを圧倒する。観客は完全にシガーに目を奪われ、他の者は脇役にしか映らないはずだ。しかし、アカデミー賞でハビエル・バルデムが取ったのは助演男優賞で、主演はあくまでトミー・リー・ジョーンズなのだ。
主演、助演という区別は作品にとって重要ではないものに見えるかもしれない。しかしこの作品の場合、実際に主人公がトミー・リー・ジョーンズ演じた老保安官エドであり、シガーは脇役に過ぎない。にもかかわらず存在感はシガーのほうが何十倍もあり、言ってしまえばエドがいなくても映画としても物語としても困ることはないともいえてしまう。
このような状況が生み出すのは、見るものの落ち着かなさだ。脇役の存在感が群を抜き、主役がいてもいなくてもいいような存在だと観客は一体どこに身をおいていいのかわからなくなってしまう。エドの立場に身をおこうにも彼は物語にほとんどコミットしないし、モスのほうも今ひとつ何をしようとしているのかわからない。
これがこの作品の非常に落ち着かない感じにつながる。映画に没頭しようと構えた観客からすればこの作品は完全に拍子抜けのものとなるだろう。
しかし、この落ち着かなさも作品の狙いなのだろうと思う。この落ち着かなさの最大の要因は、作品中で最も存在感のあるシガーがまったく理解できない存在であることだ。まったく無表情でためらうこともまったくないこのシガーという男を理解するのは到底不可能だ。
しかし、この理解不可能な恐ろしさは現代社会の恐ろしさの象徴であるわけだ。エドが「最近の犯罪は理解できない」と言っているように、この作品が捉えるのは現代社会の恐ろしさであり、シガーこそがその象徴というわけだ。
つまり、結局のところこのシガーを理解できないわれわれはエドであり、“No Country for Old Men”と題された“Old Men”たちなのである。(だからこの作品の邦題を『ノー・カントリー』としてしまうのはまったくの見当違いで、この題名ではいったい何の映画なのかわかりもしない。そのままじゃ長いなら『フォー・オールド・メン』のほうを取るべきだったと思う)
そんな“Old Men”であるわれわれが唖然と見つめるこの作品は果たして面白いのか。間違いなく記憶には強く残る映画だけれど、面白いかと聞かれると難しい。見ていて落ち着かないし、後味も決してよくないが、怖いもの見たさという面白さはある。そして、非現実的なようでいてどこかで現実の恐ろしさを垣間見せる物語にも魅力を感じる。見て損はないと思うが…
アメリカでは興行収入7000万ドルの大ヒット(2008年3月現在)となっているようだから、一般の観客にも受けているということだろうが、日本では果たしてどうか。