州議会
2008/3/16
State Legislature
2006年,アメリカ,217分
- 監督
- フレデリック・ワイズマン
- 撮影
- ジョン・デイヴィー
- 出演
- アイダホ州議会議員
アイダホ州の州議会、上院の議長がホールで高校生たちに説明をしている。アイダホでは州議員たちは専任ではなくほかに職業を持った人たちらしい。そして議会が開会、冒頭で今日は59年前に硫黄島で米軍が勝利した日だといって、そこで死んだ米兵と日本兵に哀悼の意が述べられる。
映画は各委員会での議論を中心に、本会議、公聴会など議会のさまざまな活動を具に記録していく。フレデリック・ワイズマン34本目の長編ドキュメンタリー。
フレデリック・ワイズマンのドキュメンタリーは多くの場合、普段私たちの目にはあまり触れないような部分を映し、それによって対象物に対する新たな発見をもたらすということが多い。それが時には動物園のような日常的な場所であったり、バレエ団のような日常とは離れた場所であったり、軍事施設のような私たちの目からは隠されている部分であったり、対象はいろいろであるが、基本的な線はそこにある。
しかし、この作品はそうでもない。州議会(あるいは議会)というのは基本的には開かれた場所だ。もちろん裏でいろいろの権謀術策がめぐらされ、目に見えない部分も多いと言う印象はあるが、議会ということに限っていえば基本的には公開されているし、実際この作品のほとんどのシーンで市民が聴衆や発言者として映像に映っている。
なので、この作品には秘密の場所を覗き込むという窃視者的な楽しみはあまりない。しかしこの作品は面白い。それはこのアイダホの州議会が非常に魅力的だからだろう。このアイダホの州議会は私たちが抱く議会のイメージとはかなり異なっている。私たちがイメージする議会とはニュースで見るような政党や派閥の駆け引きによって、「永田町の論理」で物事が決まっていく世界だ。しかし、このアイオワの州議会では本会議でも委員会でもここの議員が自分自身の意見を明確に述べ、「自分の」有権者の代表として(実際彼らは「私の有権者」という言葉をたびたび口にする)その意見を主張するのだ。
そして、もうひとつは市民たちも積極的に参加をしているということだ。多くの委員会では傍聴する市民たちで部屋はぎゅうぎゅうになり、あふれ出さんばかりだし、公聴会ではさまざまな人が発言をする。まあ、この公聴会の発言というのは実際のところあまり意味がない、というかほとんど全員が自分の意見を「これが正しいのだ」と主張しているだけであまり議論の参考になる発言ではないのだけれど、そのような発言でも市民に発言の機会を与えるということが重要なのだということは良くわかる。
また、ホールは常に市民に開放されているようだ。冒頭では高校生たちの社会化見学のようなものが行われていたが(この高校生たちが寝そべっていたりガムをかんでいたりして非常に態度が悪いが、熱心に聴いてはいるようである)、それ以外にも小学生くらいの子供が見学をしていたり、コーラスが行われていたりする。この建物自体もかなり歴史のあるいい建物で、いかにも市民の集まる場という感じだ。
アイダホというのは議員たち自身も言っているが決して「進んだ」土地ではない。しかし、その議会制度はかなり進んでいるように見える。あるいは保守的で村社会的な伝統が残っているからこそ現代的な政党政治に毒されることなく民主的な政治が行われうるのか。
この作品は大げさに言えば、アイダホというひとつの州議会から議会制民主主義のあり方を問う作品だと言えるだろう。先進的といわれる州や国の議会というのはこれでいいのかという提題である。しかし、同時にこのアイダホの州議会にも有色人種の議員がいない、宗教的色合いが強すぎるなどという問題も見える。
ホールでコーラスをしていた子供の中には有色人種もいたから、けっして市民に有色人種がいないというわけではないのだろうけれど議員の中にはいないし、陳情に訪れたメキシコからの移民に対する態度からも彼らが非白人の問題をあまり重視していないことが見て取れる。この姿勢はアイダホの有色人種たちを声なき人々(サバルタン)化するという意味で問題だ。
また、この議会ではつねに「神」という言葉が付きまとう。何かの記念碑の建立に関する公聴会でユダヤ教のラビが発言するのだが、そこに現れるのはこの州議会のキリスト教的な一面である。政教分離が原則ではあるが、住民のほとんどがキリスト教徒である保守的な州では必然的に政治はキリスト教よりになってしまうだろう。しかし、宗教の面でも人種と同様にマイノリティは存在する。公聴会で発言したユダヤ教もそうだし、傍聴席にはアーミッシュらしき人も見える(アーミッシュはキリスト教徒だが、極端に保守的という点で主流派とはまた異なる)。彼らもまた声を奪われる可能性があるという点は有色人種と変わらないのかもしれない。
ワイズマンはやはり最終的には私たちにさまざまなことを考えさせる。御年78歳、まだまだ元気に映画を作ってほしいものだ。