ボラット 栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化学習
2008/3/24
Borat: Cultural Learnings of America for Make Benefit Glorious Nation of Kazakhstan
2006年,アメリカ,84分
- 監督
- ラリー・チャールズ
- 脚本
- サシャ・バロン・コーエン
- ピーター・ベイナム
- アンソニー・ハインズ
- トッド・フィリップス
- 撮影
- アンソニー・ハードウィック
- ルーク・ガイスビューラー
- 音楽
- エラン・バロン・コーエン
- 出演
- サシャ・バロン・コーエン
- ケン・ダヴィティアン
- ルネル
- パメラ・アンダーソン
カザフスタンで国営TVのレポーターを務めるボラットは国からの依頼でアメリカに取材旅行に出かけることに。プロデューサーのアザマートとともにニューヨークへとついたボラットだったが、アメリカについてまったく無知な彼はそこここで大失態を演じ…
イギリスの人気コメディアン、サシャ・バロン・コーエンが自身のTV番組のキャラクターであるボラットをアメリカに連れて行って撮った過激コメディ。下ネタ満載でとにかくバカバカしい。
あまりにもくだらなく過激な内容でアメリカで予想外の大ヒットとなって、関係各所からの訴訟なんかも起こって話題となったこの作品、見てみると本当にくだらないし、これを映画にしちゃっていいのか?という突撃レポート的な部分も確かにある。
くだらないという点ではとにかく下ネタ連発、ボラットが現在暮らしているという設定のカザフスタン(ロケはルーマニアらしい)のシーンから下ネタ連発、予告編でも流れた(と思う)ビキニパンツを方に引っ掛けたオ下劣な格好もここで出てくる。さらには“ユダヤ人追い祭”なんていう架空の祭りまで登場させて、いわゆるタブーを笑いにする姿勢も見える(だが、実は彼自身がユダヤ人だからある種の自虐的ギャグであって実際にはタブーに挑戦したというわけではない)。
これらからこの映画がドキュメンタリーの体を取っているが実際はフィクションで完全なコメディなのだということがわかる。笑えるか笑えないかは別にしてこのようにどのような映画かということを表明しておくというのはこの作品のなかなか優れた部分だ。本編となるアメリカ部分では本当にドキュメンタリーの部分も多くあるのだが、このプロローグによってすべてがフィクションとして捉えられるように準備されているのだ。
その本編の部分も果てしなく下らない。架空の国としてのカザフスタンを徹底的に男尊女卑で差別的な場所と設定することで人々を戸惑わせ、笑いを生み出そうとする。それは時には不快なものですらあるが、それはあくまでもギャグであって真剣なものではなく、害は無い(はずだ)。
それは彼が揶揄する人たちにも当てはまる、彼はフェミニスト、ロデオ大会の関係者、ペンテコスタ派キリスト教徒の人々を揶揄する。ある意味では彼らは騙されてギャグのネタにされているわけだからおこって当然だと思うが、それを訴訟にまでしてしまうというのはいかにもアメリカ人の発想という感じでどうも了見が狭いと思ってしまうが、それもあわせてアメリカに対する皮肉なのだろう。
ロデオ大会でアメリカの国家にあわせてカザフスタン国家(とこの作品でされているふざけた歌)を歌って大顰蹙を買い、リンチを受けそうになったりもしたらしい。その突撃度合いでマイケル・ムーアと比較されるようなこともあるけれど、このボラットの場合、すべてをギャグとしてやっている。マイケル・ムーアの場合は一応自分の行動がどのような社会的帰結に至るかを考えてやっているわけだが、ボラットは自分の行動でどれだけの人を笑わせられるかということを考えてやっている。それが結果的にアメリカ批判となっているというのは、彼が揶揄するアメリカというものが滑稽だからに他ならない。
彼が笑いを追求した結果アメリカを批判することになる。それはそれで面白いのではないか。笑いの材料にされた人たちも目くじらを立てるのではなく、一緒にそれを笑い飛ばせれば、世の中はもっと平和になるのに。そんななんともやるせない気持ちがする。
彼は社会の下層にいる人たちと容易に仲良くなる。そしてそれに反して上流と言われる人々のおかしさを暴こうとする。そのような立ち方が彼のあり方なのであり、それが受けるのだろう。彼自身は結構インテリなのではないかと私は思うが、まあそれもイギリスらしいコメディというところだろうか。
好みは激しく分かれると思うが、作品としては良く出来ていると思うので、見て損は無いはずだ。