セックスと哲学
2008/5/14
Sex & Philosophy
2005年,フランス=イラク=タジキスタン,101分
- 監督
- モフセン・マフマルバフ
- 脚本
- モフセン・マフマルバフ
- 撮影
- エブライム・ガフォリ
- 音楽
- ダーレル・ナザーロフ
- 出演
- ダーレル・ナザーロフ
- マリアム・ガオボヴァ
- フォルザナ・ベクナザーロフ
40歳の誕生日を迎えたジョーンは、40本のろうそくをともした車から4人の恋人達に電話をし、4人を自身が先生をするダンス教室に集める。ジョーンはレッスンが始まると、ひとりずつと話を始めるが…
モフセン・マフマルバフがタジキスタンを舞台に『カンダハール』以来4年ぶりにメガホンを取った恋愛ドラマ。フランス映画のような雰囲気を持ちながらアジア映画らしさも持つ。
場所の説明も、人物の説明も何もなく、いきなり映画は始まる。マフマルバフだからイランだろうと高をくくっていると、その場所の雰囲気はまったく違う。女性たちはベールをしておらず、開放的な格好で踊る。音楽は中東のもので、人々の顔はアラブにヨーロッパやインドが混ざった感じだ。言葉もよくわからないがアラビア語やペルシャ語とは違い、ヨーロッパの言語とも違う。
最初はそんな印象が伴うが、結局のところ場所はあまり重要ではないように思えてくる。4人の女性のうち最初の一人との会話から紡ぎ出される物語はなかなか面白い。ストップウォッチで“幸せな時間”を計る男が女と出会ったのは、乗客がひとりしかいない旅客機の中。女は黒い服を身にまとい、他の3人は赤、青、白をまとう。 男は「恋愛は平凡なものだ」と繰り返し言う。
『セックスと哲学』という題名ではあるが、セックスについて多くが語られるわけではないし、哲学についてもあまり語られない。語られるのはとにかく恋愛である。しかし「地球にとってオゾン層より重要な恋愛などない」というように恋愛をあくまでも平凡なものと語り続ける。しかし、そのジョーン自身は恋愛に生きているのだ。
この作品はとにかく恋や愛についてくどくどと語っただけの映画だ。結局は大人になりきれない40歳の4股かけたおっさんが「みんな愛してた」なんてことを言ってしまう。しかし、ひとり目のミリアムとはキスもしていないというし、このジョーンもいわゆるプレイボーイというわけではなくて、文字通り愛や恋に悩み4人と同時に恋愛関係に陥ってしまっているということではある。そして、古くから付き合っている順に話すジョーンが、最近付き合い始めた相手ほど肉体的に深い関係にあるというのも面白い。
この作品は暗喩にあふれている。ひとり目のミリアムが持つ花は彼女の純潔の象徴であろうし、ふたりが手を絡ませるのは肉体関係の暗喩である(絡み合ったふたりの手が離れた後、ジョーンの手に花がないということは二人は肉体関係にはなかったということ)。二人目のファルザナが左右で違う色(白と赤)の靴を履いているのは、彼女が少女と大人との境にいることの象徴だ。
次のタフミネとの会話のシーンではジョーンの車が枯葉に覆われる。その後さらにダンス教室の部屋の中までも一面枯葉で覆われるのは彼の心理を表している。彼はつまりは頭の中に枯葉が詰まったような状態で、大人であるタフミネとの関係をうまく処理できなくなってしまっている。彼は結局大人になりきれない大人で、だから最後には“両親を思い出させる”音楽家のもとに戻るのだ。
このような暗喩を使って愛やら恋やらを語っているからなんだか大人の雰囲気の映画のようだが、実は非常に青臭い映画である。なんだかフランスのヌーヴェル・ヴァーグをも思い出させるような、そんな作品だ。これまで社会派ともいえるような映画を撮ってきたマフマルバフがここに来てこのように青臭い映画を撮るというのはなかなか面白い。イランでは規制が多く思うように映画が撮れなかったわけだが、彼は現在アフガニスタンに住み、今回はタジキスタンで撮影を行った。イスラム社会というくくりはあるにしろある程度の自由を得たマフマルバフは、彼なりの中東版ヌーヴェル・ヴァーグをはじめたということなのだろうか。“社会派”の映画がもてはやされる今にあって、それに逆行するようなマフマルバフはやはり只者ではないのかもしれない。今後の展開に期待したい。