カルラのリスト
2008/6/2
La Liste de Carla
2006年,スイス,95分
- 監督
- マルセル・シュプバッハ
- 撮影
- デニス・ユッツラー
- 音楽
- ミヒャエル・ウィンチ
- 出演
- カルラ・デル・ポンテ
1995年、ボスニアのスレブレニツァでセルビア人勢力によってモスレム人の大量虐殺が行われた。その首謀者達はその直後から戦争犯罪人として指名手配された。1993年に設立された旧ユーゴ国際刑事法廷(ICTY)の検察官カルラ・デル・ポンテはその首謀者たちを追って関係各国と折衝を続ける…
ICTYの検察官カルラ・デル・ポンテの約1年間の活動を追ったドキュメンタリー。非常に大きなテーマで、映画というよりは報道という印象に近い。
この作品はカルラ・デル・ポンテという公的な機関の養殖にある人物を追ったドキュメンタリーである。彼女の活動を追うとともにスレブレニツァの虐殺の遺族たちにも取材を行っているので、その虐殺の記憶を風化させないこと、そして戦争犯罪人を野放しにしないことを訴えるというのが映画のテーマとなっていることは明白だ。
しかし、この作品はそのテーマに沿って作品を構築していくというよりは、あくまでもカルラ・デル・ポンテという人物に焦点を当て、彼女の活動を克明に記録することに主眼を置いている。それはある意味では主観的であるよりは客観的な視点だ。集めた素材を使って自分なりの物語を構築するのではなく、被写体に物語の核を求めていく。そのためこの作品はニュース番組の特集とか、BBCの報道ドキュメンタリーのような印象を与える作品になっている。
ドキュメンタリー映画というのは、素材としては事実を使いながらも出来上がった作品には“作家”の主観が強く入り込むものだが、この作品にはそれがあまり感じられない。そのあたりがドキュメンタリー映画としては物足りない感じがする。
しかし、この作品が取られるテーマ、事件、事実は非常に重要なものだし、考えさせられる。旧ユーゴで民族浄化と虐殺が起こったということは知っていても、その後の戦争犯罪人がどうなったかということはニュースでちらりと報道されるに過ぎず、あまりわれわれの注意を惹かない。
それを想起させるという意味でこの作品が映画として製作されたことは意義深い。消費され続けるTVドキュメンタリーよりは映画のほうが忘却のスピードが鈍いからだ。この作品を見た人は、今現在、この戦争犯罪人たちはどうなったのだろうかと必ず考える。今現在(2008年)、あまり進展はないようだが、あきらめたわけではない。正義は必ずなされる。そんなことを信じたくなるのだ。
スレブレニツァの遺族の一人が「90年代以降もはや正義は存在しなくなった」と発言する。確かに近年、世界は複雑化し、正義は価値観という言葉に置き換えられ、相対化されてきた。もちろん正義というのはそもそも価値観のひとつに過ぎないけれど、どこかで正義なる絶対的な価値観が存在するという感覚がわれわれにはあり、それを信じていたのだけれど、そのような感覚は幻覚に過ぎず、そのような正義というのは人それぞれに異なる相対的な価値観に過ぎないという了解が広がってきているように思える。
しかし、本当にそうだろうか。正義というのは絶対的な価値観ではないというのは私も思うが、それがあくまで相対的なものとは思わない。各個人が抱く正義というもののイメージはあくまで相対的なものであっても、そこには何らかの共通項があり、それがどこかですべての人々に“正しさ”の判断基準となっているようなそんな気はする。あるいは少なくともその程度の“正義”は存在するのだと信じたい。
カルラ・デル・ポンテがあくまで“正義”を追求するというのはそのような信条を後押しするものだ。そのような“正義”が存在すると信じる人が多くいれば、それだけ“正義”が存在すると強く信じることが出来るからだ。
国際刑事裁判所(ICC)はある意味では、そんな“正義”の存在を支える場だ。そこに警察力はなくとも、そのような信念が存在しつづけていることを証明する機関としてだけでもそれが存在する価値はある。日本も遅ればせながら2007年10月1日に加盟、アメリカ、中国、イスラエルなどは加盟していない。世界が“正義”を信じられるようになるには、まだまだ努力が必要だ。