渚のシンドバッド
2008/6/11
1995年,日本,129分
- 監督
- 橋口亮輔
- 脚本
- 橋口亮輔
- 撮影
- 上野彰吾
- 音楽
- 高橋和也
- 出演
- 岡田義徳
- 草野康太
- 浜崎あゆみ
- 高田久実
- 山口耕史
高校2年の伊藤は同じブラスバンド部で仲のよい吉田にひそかに思いを寄せている。そのことを転校生の相原に気づかれてしまい、父親にもゲイであることがばれて精神科に連れて行かれるが、そこで相原とばったり出会う…
橋口亮輔監督の長編第2作。少年から青年へと変貌しようとする若者を描いたドラマ。歌手デビュー前の浜崎あゆみが出演していることでも有名。
この登場人物の中で一番目を引くのは実は一番普通に見える吉田浩之である。主人公の伊藤修司はゲイでなおかつ同級生に恋心を抱くという悩みを抱え、相原果沙音は心に大きなトラウマを抱えているが、この吉田はみんなから好かれ、彼女もいるし、家族ともそれなりにうまくやっているごく普通の高校生である。
この吉田が伊藤に告白されて混乱する。普通の高校生として“まとも”な生活を送ってきた吉田にとってそれはどう対処していいのかわからない出来事である。吉田は伊藤に「好きにすればいい」というが、それはまったく伊藤のことを理解していないのである。
この吉田という少年は自分がこれまでに教えられたり刷り込まれたりしてきた価値観を無批判に信じ、それを周りにも何の疑いもなく当てはめ、押し付ける。だから彼は誰にでも優しく、女の子から付き合おうといわれれば付き合う。彼の行動は外見上は優しくていい人でちゃんとしているように見えるけれど、その優しさは相手を思いやってのものではなく、自分なりの常識に基づいた行動に過ぎないのだ。
このように自分の価値観に疑問を持たずに過ごせるのはコドモ=少年の間だけだ。青年といわれる年代になると、他人との価値観の違いに気づき、自分の常識が当てはまらない出来事に遭遇する。その出会いの中で相手を思いやる気持ちを育てていくことこそが大人になるということである。吉田は“大人しい”少年だが、まったく大人ではない。彼は伊藤に告白されることで、自分の常識からまったく外れた出来事と遭遇する。彼は相手を思いやることができないから、ただ混乱して自分の世界を守ろうとする。そして伊藤と友だちでい続けようとするのだ。
彼はそのようにしながらも、それが自己中心的な行動であるとはまったく気づいていない。彼は彼なりに周囲に対して優しく振舞おうとしているのだ。しかし彼の行動は自分という基準に基づいた優しさの押し付けでしかなく、思いやりではない。
しかし、高校生なんてのはそんなもので、この作品でもほとんどのクラスメートがそうなのだ。伊藤と相原だけがすでに自分と社会の間の齟齬を経験しており、彼らの一歩先を行っている。しかし、他のクラスメートにはそれが理解できない。彼らは自分の価値観で二人を判断し、彼らを排除する。
これは大人になったからこそ理解できる青い時代の話である。高校生が主人公ではあるが、高校生が見たら退屈な話だろう。大人になって振り返るからこそわかる青春の青臭さがそこにあるのだ。
主人公の高校生たちを演じた岡田義徳、草野康太、浜崎あゆみらは非常にいい演技をしていると思う。ぎこちなくたどたどしいが、そのぎこちなさがリアルなのだ。うまく演じているというよりはナチュラルさが非常にいい。特に浜崎あゆみはこのまま女優としてやっていっても面白かっただろうと思う。演技がうまいというわけではないが、キャラクターにぶれがなく、本当に自然だ。
橋口亮輔監督の演出はまだ荒削りな印象だ。せりふのないシーンで長回しをしてみたり、やりたいことはわかるけれどまだこなれていない感じがする。岡田義徳と浜崎あゆみをそれぞれ真正面から撮った精神科のシーンなんかも、もう少し心理が伝わりやすく、スムーズに展開する撮り方ができたように思う。登場人物もぎこちなく、シーンの展開もぎこちなくなってしまったことで、全体が冗長なものに感じられてしまった。
それでもいい映画だった。友情や恋や汗で彩られた美男美女たちの青春映画ではない、本当の青春映画だ。