オフサイド・ガールズ
2008/6/21
Offside
2006年,イラン,92分
- 監督
- ジャファル・パナヒ
- 脚本
- ジャファル・パナヒ
- シャドメヘル・ラスティン
- 撮影
- マームード・カラリ
- 音楽
- コロシュ・ボゾルグプール
- 出演
- シマ・モバラク・シャヒ
- サファル・サマンダール
- シャイヤステ・イラニ
女性が男性のスポーツを観戦することを禁じられているイラン、ワールドカップ出場がかかったバーレーン戦の日、ひとりの少女が男装をして試合にもぐりこもうとするがあえなく失敗、兵士に捕まって連れて行かれた先には、同じように捕まった少女たちが何人もいて…
実際にワールドカップ出場がかかった2005年のバーレーン戦当日に撮影されたイランの実情を伝えるドラマ。
この作品の意図はとにかく、女性が男性のスポーツを観戦することを禁止するという決まりのおかしさを伝えることだ。捕まった少女たちは「どうしてダメなのか」とくり返し見張りの兵士に尋ねる。兵士は「男達が汚い言葉を吐くからだ」などと答えるが、どうしても相手を納得させられるような理由を告げることは出来ない。
実際、なぜ禁止されているのかはよくわからない。とりあえずイスラム教の教えでは「男女を分ける」ということはひとつの原則のようになっている。男女は基本的に別学だし、女性はチャドルで髪を隠す。それは基本的には男性の欲望の目に女性をさらさないということを目的としていると思うのだが、その目的を果たすために規則があるというよりはすでにその規則のほうが優先されてしまっているのが現状だ。
だったら規則を変えればいいということになるのだが、宗教と法律が一体化しているイスラム国ではそれを変えるのは非常に難しい。法律を変えることはコーランの解釈の変更であり、そのためには宗教学者による長い長い議論が必要になる。
この制度には矛盾があるようにも見えるが、簡単に批判できるものでもない。このひとつの問題に限っていえば、そんなもの許してしまえばいいだろうということになるのだろうが、特例を許すことは制度そのものを揺るがすことにつながりかねない。問題は女性を守るために逆に女性に不自由を強いている現在のイランのイスラム法のあり方を考え直すことだ。そのためにはもちろんコーランの解釈の変更が必要になるわけだが、それも必要なことなのではないか。
まあ、外からだからこのように簡単に言えるわけだけれど、このような映画がちゃんと作られ、公開されているということは、そのような不満が表明され一般に広まっているということでもある。それならば、イランという国はそれほど不自由な国ではないのではないかという気もする。もちろん規制は多く、制度はなかなか変わらないのだろうが、ある程度の意見を言う自由はあるのだろうと思う。
そのように意見を表明するという点ではこの映画はいいのだろうが、そのことをただ言っているだけなので、映画としてはちょっと物足りない気がした。少女たちは文句を言い、兵士はそれを怒鳴ったり、なだめたりして沈めようとするだけなのだ。途中兵士の一人と少女に心の交流のようなものが生まれたり、最後には少女のうちの一人が競技場に入ろうとした感動的な理由が明らかになったりして、少し物語性が生まれるのだけれど、それが映画全体には行き渡らず、物足りない。
少女と兵士の関係が、囚人と看守の関係のようになれば、男女の関わりあい方が難しいイランだけあってもう少し物語にふくらみが出るような気がするのだが、そこまでは踏み込めなかった。
結果、イランという国を知るにはいいが、物語としての映画を楽しむには今ひとつの作品となってしまった。イラン映画の力はもはや証明するまでもないことなので、もっと映画的に素晴らしい作品を期待してしまう。