火垂るの墓
2008/7/5
2008年,日本,100分
- 監督
- 日向寺太郎
- 原作
- 野坂昭如
- 脚本
- 西岡琢也
- 撮影
- 川上皓市
- 音楽
- Castle In The Air
- 出演
- 吉武怜朗
- 畠山彩奈
- 松坂慶子
- 松田聖子
- 江藤潤
- 山中聡
- 池脇千鶴
- 原田芳雄
- 長門裕之
1945年、神戸を空襲が襲い、清太と節子の兄弟も焼きだされ、避難所となっている学校で大怪我をした母親の回復を待つがそれもかなわず、ふたりで物資を持って西宮の親戚の家に行くことに。しかし、その家の未亡人はふたりから物資を掠め取り、ふたりに冷たく当たる…
ジブリのアニメで知られる野坂昭如の小説の実写映画化。当初は黒木和雄が監督する予定だったが、亡くなってしまったため門下の日向寺太郎が監督した。
『火垂るの墓』というとやはり原作よりもジブリのアニメである。毎年夏にTVで放映されるそのアニメがあまりに有名でその印象が強いから実写化というのは難しかったろうと思う。実は2005年にTVドラマとして制作されたが、あまり話題にはならなかった。
そこで今回の映画となったわけだが、作品としてはそれなりだと思う。子役のふたりは2時間もたせるだけの演技力はあってそれは素晴らしいと思うのだが、どう観ても戦争中の子供には見えず、飢えに苦しむシーンなどはあまりに説得力がない。飢えたことなどないし、子供の想像力には限界があるから仕方がないと思うのだが、この部分で見るものの心に迫るようなシーンが作れなかったのが作品全体を凡庸な印象にしてしまったのではないかと思う。
それに対して、ふたりが親戚の家に厄介になっている間は松坂慶子のいやな奴ぶりと近所に住む人々が世界を作っていて緊張感があり、ほっとする瞬間もあり、主人公の特に清太の心の動きが伝わってくるようでよかった。
実写にするということは、結局“絵”でしかないアニメにはないリアリティを生むことができるというのが利点であったはずだ。しかし、この作品は結局アニメのイメージを崩すことなく、それを実写に置き換えているに過ぎないように思えてしまう。その最大の理由は飢えているはずのふたりから悲惨さが読み取れないということなのだけれど、それはそれを演じたふたりの子役に責を帰するべきことではなく、演出のほうにこそ問題があったというべきだろう。
同じふたりだけで防空壕で暮らすようになってからのシーンでも、題名の由来ともなっている“蛍の墓”の部分は見ているほうに迫ってくるような迫力がある。累々と並ぶ蛍の墓、それは当然この戦争で死んだ人々を想起させる。空襲で焼かれ墓を立てられることもなく集団墓地に埋葬される人々、爆弾で散り散りになり遺体が発見されることすらない人々、そんな人々の死をこの墓は想起させる。
そして同時に校長先生のエピソードから明らかにされる“犬死に”というべき人々の存在。“御真影”を燃やしてしまったというだけで一家で心中しなければならないような社会、今から見ればまったく無駄な死が当然と受け入れられていた社会の悲惨さと不条理。蛍の墓によって“死”を意識させることによってそのようなことが次々と頭をよぎる。
この“蛍の墓”のような演出がもっとふんだんに盛り込まれていたならば、この作品はアニメとはまた違う『火垂るの墓』として毎年TVで放映されるようになったかもしれないが、あと一歩届かなかったという感じだ。
惜しくも亡くなられてしまった黒木和雄監督がメガホンを取っていたら、どんな作品になったのか。“戦争”を生涯のテーマにしてきた黒木和雄監督の集大成としてこの作品がとられたとしたらそれは名作になっていたかもしれない。
戦争を知らない世代がこのような映画を撮るということももちろん必要だ。しかしやはりこの作品は黒木和雄監督で見てみたかったと残念に思うばかりだ。