ゲド戦記
2008/7/17
2006年,日本,115分
- 監督
- 宮崎吾朗
- 原作
- アーシュラ・K・ル=グウィン
- 脚本
- 宮崎吾朗
- 丹羽圭子
- 作画
- 稲村武志
- 音楽
- 寺嶋民哉
- 出演
- 岡田准一
- 手嶌葵
- 菅原文太
- 田中裕子
- 風吹ジュン
- 香川照之
人間界に降りてこないはずの竜が突如現れ共食いを始めた。世界は旱魃をはじめさまざまな異常に襲われる。大賢人のハイタカは旅の途中アレンという少年に出会う。少年は父王を殺しその剣を奪って自分を追う影から逃げながら旅を続けていた。
アーシュラ・K・ル=グウィンの名作ファンタジー『ゲド戦記』を宮崎駿の息子宮崎吾郎が監督し映画化。同じジブリ作品とは思えない出来の悪さ。
『ゲド戦記』は小学生くらいのころに夢中になって読んだのだけれど、その内容は以外に覚えていない。この映画を見たら少しは思い出すかなと思ったけれど、まったく思い出しはしなかった。
映画の冒頭、画はジブリそのもので期待を抱かせるものだ。しかし、始まってすぐ映像にあまりにスピード感がないことに気づく。宮崎駿の作品はその世界観に注目が集まって映像の面はそれほどコメントされることはないが、映像ももちろん素晴らしいものだ。そして特に素晴らしいのがスピード感、2次元という限られた世界でスピード感を出すのは難しいものだが、宮崎駿の作品には常にスピード感があり、そのスピードがわれわれを作品世界に引き込むのだ。
しかし、この『ゲド戦記』の冒頭にはそのスピード感がまるでない。船が嵐に襲われ、竜同士が空中で戦うというダイナミックなシーンであるにもかかわらず、スピード感がまったく感じられないのだ。ここですでにこの作品に対する私の評価はほぼ決まってしまった。画はジブリの画なのだけれど、それを動かしたときその映像は驚くほど稚拙だ。スピード感がないこともそうだが、細部をないがしろにしているためにリアリティに欠ける。ジブリ映画のリアリティは髪の毛のような細部に至るまで細かく書き込まれていることによっているのだが、この作品はそれがなく、本当に同じアニメーターを使っているのかと疑いたくもなってくる。
さらに映像という点で言うと、登場するキャラクターやその動きにいままでのジブリ作品の焼き直しとしか思えないものが多数出てくる。最も特徴的なのは“ウサギ”でこれは『風の谷のナウシカ』のクロトワそのままである。せっかくの初監督作品なんだから一から新しいものを作ろうという気概が欲しかったろころだ。偉大な父を越えることはもちろん容易ではないが、父殺しから始まるこの物語を選んだのにその父の作ったものの焼き直しに終始するというのはあまりにあまりではないか。
しかも、このウサギというキャラクターはただの小悪人でクロトワのような深みがない。この作品に特徴的なのはこのように敵方のキャラクターに魅力がないということだ。このような善悪二元論、勧善懲悪の世界観は悪の側と同時に善の側の人間性も薄めてしまう。
物語のほうも非常に観念的でわかりにくい。ハイタカが何を求めているのかもよくわからないし、結局のところ世界の異常の原因もわからない。果たしていったい何について語った物語だったのか、アランという思春期の少年がまわりに迷惑をかけながら、成長していく物語ということなのか。
細部についてもいろいろと疑問が残る。アランもハイタカもみな“本当の名前”を明らかにしないがそれはなぜなのかとか、魔法使いというのはどんな存在なのかとか、この世界を理解するうえで重要なはずのことが説明されないので、この世界の全体像を描くこともできない。(途中で寝てしまったので、そこで説明されたのかもしれないが…)
この作品を見終わって思ったのは、原作はこんな話じゃなかったような気がするから、もう一度読んでみようかということだった。