ゾディアック
2008/8/3
Zodiac
2006年,アメリカ,157分
- 監督
- デヴィッド・フィンチャー
- 原作
- ロバート・グレイスミス
- 脚本
- ジェームズ・ヴァンダービルト
- 撮影
- ハリス・サヴィデス
- 音楽
- デヴィッド・シャイア
- 出演
- ジェイク・ギレンホール
- マーク・ラファロ
- ロバート・ダウニー・Jr
- クロエ・セヴィニー
1969年7月4日、カリフォルニアでカップルが銃撃され、女性が死亡する。それから1ヵ月後、その事件ともう一件の事件の犯人だという男からクロニクル紙に手紙が届く。同紙の漫画家グレイスミスはその手紙に入っていた暗号に興味を覚え、そこから事件に没頭していく。サンフランコ市警のふたりの刑事も懸命にその犯人ゾディアックを追うのだが…
未解決の連続殺人事件として知られる「ゾディアック事件」を独自に調査したロバート・グレイスミスの著書の映画化。最後までもやもやしてはいるが、その感覚がなかなか面白い。
犯人が最後までわからないという結論をあらかじめ知った上でミステリーを見る、というのはなかなかない経験で、その結論を前提とした上でどうやってこの長い作品の緊張感を保ち、終盤に向けて盛り上げていくのだろうというちょっと意地悪な興味を持って映画を見始めた。
デヴィッド・フィンチャーといえば『セブン』や『ファイト・クラブ』なんていうオーソドックスからは少しずれた面白さを持つサスペンスを撮るという印象がある。そのズレというのはどこか猥雑というか、スムーズではないところにあると思うが、この作品もそんなギクシャクした感じがある。
その感じは慣れないと散漫な印象を生み、退屈してしまう原因になることもあると思うのだが、一度慣れてしまえばそのギクシャクしたエピソード同士の隙間にある何かが見えてくるのだと思う。
この作品は2時間半越えという長い作品だが、その中にはかなりたくさんの中身が詰まっているので、その長さが必要だったということは納得できる。たくさんの登場人物が登場し、長い年月がたつ。本当に丁寧に作ったら4時間くらいになってしまうところを2時間半に縮めたというような印象も受けるくらいだ。
このギクシャクしていて長いという、聞いただけで疲れそうな作品が面白いのは、そのギクシャクを生む飛躍にこそある。この事件はさまざまな場所でおき、警察の管轄が異なることもあって事実がまとまっていない。情報は共有されず、事件を追う誰もがすべての事実を知ることはない。それは観客もしかり、いろいろな人物の名前が出てくるが、それは関連付けられたり、関連付けられなかったり、後から聞いたような名前が突然出てくるが、それが何だったかすぐには思い出せなかったり。
そして、そのように情報がばらばらであるがゆえに深層に近づけないというのは主人公のグレイスミスが抱く感覚と近いのだと思う。だから、グレイスミスが事件を追い始めたところで物語りは一気に転がり始める。このばらばらの手がかりから真相を突き止めようというのは、暗号を解く作業に似ている。ゾディアックが送った暗号と、事件そのもの、その相似がこの作品の鍵になっている。
言うなれば、この映画そのものが暗号なのである。ゾディアックが2度目に送ってきた暗号は誰にも解けず、十数年もたってグレイスミスが解いたという報道が終盤に突然はさまれるが、その内容が明かされることは最後までない。それはその内容にはあまり意味がなかったということではあると思うのだが、同時に暗号(解きゲーム)において重要なのは解読したその内容ではなく、解読する行為そのものなのだということをこのエピソードは語りかける。
それは、未解決の事件である以上いくら「犯人がわかった」と言ってもそれ自体には意味がないこの映画にもあてはまる。問題は犯人が誰かということではなく、犯人を論理的に導き出すその行為にあるのだ。
グレイスミスは最後に自分なりの答えを見つけたようだ。しかしそれが正しいかどうかは誰にもわからない。観客は彼が集めたさまざまな事実から同じように推論をして彼の結論が正しいかどうかを改めて考えることになるだろう。その推理を楽しめれば、この作品を面白いと感じることができるはずだ。