吸血鬼ゴケミドロ
2008/8/18
1968年,日本,84分
- 監督
- 佐藤肇
- 脚本
- 高久進
- 小林久三
- 撮影
- 平瀬静雄
- 音楽
- 菊地俊輔
- 出演
- 吉田輝雄
- 佐藤友美
- 高橋昌也
- 高英男
- 金子信雄
- 楠侑子
羽田空港を飛び立った飛行機に時限爆弾が仕掛けられたという予告が、機内を調べるが見つかったのはライフルだった。その持ち主が機長を脅し、機をハイジャック、しかしそのとき黄色い光を放つなぞの飛行体に遭遇した機はバランスを崩し墜落してしまう。乗客の多くが生き残ったが、そこにまた新たな危機が…
クエンティン・タランティーノもお気に入りという松竹のカルト怪奇映画。ただ、かなりB級度合いが高いので、苦手な人は苦手かと。
“ゴケミドロ”というのは宇宙からやってきたエイリアン。名前があまり怖くなさそうなところがこの作品の“らしさ”という気がする。この作品は、結局のところすべてなんとなくつじつまを合わせて怪奇映画を作ってみたというだけの作品にしか見えない。
物語の前半は、爆弾騒ぎにハイジャックに、暗殺のニュースにUFOと盛りだくさんで、期待を抱かせるのだが、飛行機が落ちてしまうと、それらの舞台装置はどこへやら、ただ無知でエゴイスティックな人間達が醜く争うだけの物語になってしまう。
本当にとにかく乗り合わせた乗客たちがそろいもそろって人でなしなのだ。そのうちのひとりの政治家などは自分が生き残ることばかりを考え、「助かったら抹殺してやる」と言って相手を脅す。しかし、こんな状況の中でそんな脅しが効き目のないことはわかりきっている。都合よく乗っていた宇宙生物学者を名乗る男も突然、吸血する場をこの目で見てみたいなどと言い出すし、みんながみんな物語を都合よく進めるために、都合のよいタイミングで自分勝手に振舞う。
これではいったいどこに焦点を置いてみればいいのか、副操縦士とスチュワーデスが良識ある人間として主人公になっているわけだが、彼らもヒーローになるには中途半端であまりに力弱すぎる。エイリアンのほうは意図もはっきりしない。警句じみたメッセージも発せられるのだが、これまたとってつけたようで鼻白いだけだ。
特撮映画というとやはり子供だましみたいなイメージがあるから、社会的なメッセージをこめたのだろうけれど、それが逆に中途半端さを強めてしまう。だからどこをとっても中途半端という印象なのだ。
その肝心の特撮も、おどろおどろしい雰囲気は出しているのだが、今見るとちゃちいという印象をまず感じてしまう。不気味に赤く光る飛行物体や、その物体が出す音なんかは結構こわさがあるから、ちゃちな特撮でエイリアンや宇宙船の正体を見せてしまうより、目に見えない存在のまま人間を襲っていくとしたほうが迫力があるといまは思ってしまうのだが、当時はやはり映像のインパクトで怖がらせるというほうが正攻法だったのだろう。
クエンティン・タランティーノがこの作品の何にそんなに惹かれたのかよくわからないが、このなんともいえないB級テイストがマニア受けするというのはわからなくない。手作りの特撮の作り物じみた感じというのは、下手にリアルなものより恐怖をあおることもある。しかも物語のいらだたしさも不条理を演出するものと考えれば効果的ととらえることも出来るかもしれないのだ。
B級映画好きな方はぜひトライしてみて欲しいが…