4分間のピアニスト
2008/9/1
Vier Minuten
2006年,ドイツ,115分
- 監督
- クリス・クラウス
- 脚本
- クリス・クラウス
- 撮影
- ユーディット・カウフマン
- 音楽
- アネッテ・フォックス
- 出演
- モニカ・ブライブトロイ
- ハンナー・ヘルツシュプルング
- スヴェン・ピッピッヒ
- リッキー・ミューラー
- ヤスミン・タバタバイ
刑務所に新しいピアノがやってくる。囚人の一人、ジェニーは入って早々、同房の囚人が自殺、しかしそのジェニーの才能に目をつけたピアノ教師のトラウデはジェニーに服従を誓わせて、レッスンを行うことを所長に認めさせる。そして、ふたりはコンクールを目指すのだが…
若く才能あふれる囚人と年老いたピアニストの交流を描いたヒューマン・ドラマ。本国ドイツで大ヒットとなった。
刑務所のピアノ教師トラウデが目をつけたジェニーという囚人。すでに天才的な技巧を身につけていた彼女の秘密は、養父による英才教育と、その養父によるレイプ、ピアノに対する彼女の嫌悪は、それが養父と直接につながる記憶であり、ピアノで成功することは養父に自分がコントロールされることであるからだ。
この作品が今ひとつしっくり来ないのは、ジェニーのこの明らかな心理作用が完全に無視されているという点に原因があったのだと思う。物語の焦点はむしろ教師のトラウデの過去のほうに置かれる。トラウデのほうは、レズビアンで第2次大戦終戦前に恋人が処刑されたという過去を持つ。その彼女の過去と、ジェニーに注ぐ情熱が結び付けられ、それが時代を超えたテーマとなるわけだけれど、トラウデ自身はそのことを表現することはせず、ただジェニーの才能のためにやっているといい続ける。
トラウデの目指すところはいったいどこなのか。ジェニーをコンクールに勝たせることによって彼女が得るものは何なのか、それがわかるためには60年前と現在だけでなく、その間の彼女の人生も知る必要があるのではないだろうか。この物語は60年前と現在があまりに直接的につながりすぎているために逆にわかりにくい。なぜ、いまジェニーなのか。彼女は60年間、才能をどぶに捨てようとしている人間を救うことを夢見て生きてきたというのか。その間、彼女自身は何をやってきたのか。そんな疑問が尽きず、なかなかトラウデの気持ちを理解することは出来ない。
他方、ジェニーのほうはわかりやすい。彼女はとにかく痛めつけられ、切り裂かれた人間だ。彼女はとにかく悲劇に対しては壁を作ってそれを無視し、自分が傷を負いそうなときは相手を傷つけることでそれを回避しようとする。それはずたずたに切り裂かれた人間の防衛本能であるだろう。その彼女がトラウデと出会う。トラウデは普通の人の目から見れば、そうとう勝手な人間だけれど、ジェニーにしてみれば自分を認めてくれる人間であり、トラウデ自身にも目論見があるとはいえジェニーに何かを与えてくれる人間だ。
そしてやはりジェニー自身ピアノが好きなのだ。好きなピアノが養父と結びつくがゆえに弾けない、その状況からトラウデが救ってくれる。だからジェニーはトラウデを信用するようになるのだ。
しかし、そのジェニーを待ち受けるのは決して幸せな日々ではない。彼女自身も心に暗さを抱え、凶暴性を秘める。その彼女の心の傷は癒されることなく、物語は進んでいく。
結局、この作品は人間の心に潜む暗闇を描き続けているのだろう。しかもその暗闇を持つ人間が救われる物語ではなく、暗闇を抱えたまま、時には他人のために生き、時には他人を犠牲にして生きるという物語。それはリアルというか非常に現実的な物語であり、それゆえにすっきりしない。重いテーマの物語が重いまま終わる、そのすっきりとしない感じがこの作品全体を覆っている。いろいろ考えさせられることはある。しかし、それをポジティヴな力に変えられる気力がないと、さらに落ち込んでしまうかもしれない。そんな映画だ。