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明日、君がいない

★.5---

2008/9/3
2:37
2006年,オーストラリア,99分

監督
ムラーリ・K・タルリ
脚本
ムラーリ・K・タルリ
撮影
ニック・マシューズ
音楽
マーク・チャンズ
出演
テリーサ・パーマー
ジョエル・マッケンジー
クレメンティーヌ・メラー
チャールズ・ベアード
preview
 学校の閉め切られた扉から血が流れ出る。そのひとりの学生の死の数時間前、優等生のマーカスは妹のメロディと学校に向かう。途中、走って学校に向かうスポーツ万能のルークを追い抜き、木陰でマリファナを吸っていたゲイのショーンはルークに声をかけて無視される。学校では女子学生たちがルークに熱い視線を注ぎ、片足に障害を持つスティーヴンはいじめに苦しみながら時を過ごす…
  友人の自殺と自らの自殺未遂をきっかけに19歳で映画を撮り始め、2年の歳月をかけて完成させた青春ドラマ。10代の若者なら共感できると思うが…
review

 映画はひとりの学生の死、おそらく自殺で始まり、時間はその朝にさかのぼる。数人の主要な登場人物が出てくる。優等生のマーカスとその妹のメロディ、スポーツ万能のルーク、その恋人のサラ、ゲイのショーン、片足に障害を持つスティーヴン、マーカスに想いを寄せているケリー。その誰もが悩みを抱え、自殺する可能性を秘めている。いったい死んでしまったのは誰なのか、その謎がこの物語の縦糸となる。
  そして、そこに同時に描かれるのは障害を持つスティーヴンとゲイのショーンへのいじめ。ショーンを中心とするマッチョな男たちは弱いものいじめを当然のことと考えているように見える。
  この作品には様々なメッセージがこめられている。そのいじめというのが実は恐怖心を覆い隠すための反応であること、若者にとっては軽く感じられる命の重さ、など。
  死んだのは誰だろうかという謎を解こうとする過程でも、それぞれの登場人物の「生きる意味」を問うことになるし、ある意味では素朴な、またある意味では根源的な問いを問い直される作品であると思う。

 ただ、この映画には新しさというものがまるでない。19歳で作り始めた映画という割にはすでに使い古された論法やメッセージばかりという気がしてならないのだ。
  誰が死んだのかという謎かけにしても決して新しいものではないし、憂鬱に沈むメロディーの悩みの真相についても、ルークという人物像の二重性についても、その種明かしを待たずに真相がわかってしまうようなどこかですでに見たような謎かけなのだ。もちろんまったく新しい物語などというものはほとんど存在しないだろうし、どのような映画も多かれ少なかれこれまでに存在したものを組み合わせなおしたものに過ぎない。だが、19歳という若者が作ったにしては小さくまとまりすぎてはいないかと思ってしまうのだ。
  そして、結末もいただけない。この作品は自殺をテーマとし、自殺する人間の心理を描こうとした作品だと思うのだが、「誰が死んだのかわからない」という謎のほうを重視するあまりに、肝心のその心理の描き方があまりに浅くなってしまっているように思える。もちろん結末を見れば、その自殺にいたった心理について考えざるを得ず、そこから何らかの考えが生まれるだろうということなのだろうが、その結論を観客に頼りすぎて、その考える材料すらほとんど与えられていないのだ。
  それはやはり、監督もまたあくまでも若者の一人だということだろうか。この作品の登場人物と同じく、監督自身も周りが見えておらず、結局自己撞着の結論にしがみつく。そのような点でこの作品は二重の意味で「若者の」映画であるということだ。

 しかし、誰もが若者という時期を通過しなければならないし、そこでは大いに悩まなければならない。この作品はそんな若者の悩みをリアルに描いた作品だ。だから、10代の若者が見れば、共感もし、感動もするのだと思う。それに、あまり多くの物語に触れているわけでもないから、この作品の物語の陳腐さに気づくこともないだろう。しかし、その若者の時代を通過して、それらの悩みというのが生死をかけるほど重要なことではなかったという感慨を持てるようになってしまってから見ると、この作品はあくまでも“コドモの”物語だとしか思えない。“コドモ”特有の残酷さをとにかく描き続けた物語なのだと。
  だが、障害を持ったスティーヴンのインタビューのシーンで、スティーヴンを理解しない旧友たちについて母親が「彼らは子供なんだ」といったシーンがあって、それは非常に印象的だった。その母親の言葉にスティーヴンは納得しているわけだが、彼はそれでもその“コドモ”の間であと3ヶ月をすごさなければならず、その3ヶ月=90日間は途方もなく長い時間なのだ。この時間の感覚の違いにも若者らしいリアリティを感じる。
  このように若者のみずみずしいリアリティを描いた作品というのは、おじさんばかりが活躍する映画界においては珍しい。若者という時代は誰もが通らなければならないわけだが、そのときこの作品を見ることはいいことだろうと思う。だがこの作品もまた若者独特の狭量さ、エゴを持っていることも忘れてはいけない。

Database参照
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