LOOK
2008/9/5
Look
2007年,アメリカ,102分
- 監督
- アダム・リフキン
- 脚本
- アダム・リフキン
- 撮影
- ロン・フォーサイス
- 音楽
- BT
- 出演
- ジェイミー・マクレーン
- スペンサー・レッドフォード
- ヘイズ・マッカーサー
- ニッチェル・ハインズ
- ベン・ウェバー
下着を試着する若いふたりの女の子、ひとりが試着した下着を着たまま店を出る。デパートに勤めるトニーは倉庫で同僚の女性達と次々とセックスする日々を送っていた。どこかの田舎の道では警察官を殺害する事件が発生、犯人達は逃走を続けていた…
『デトロイト・ロック・シティ』のアダム・リフキンが3000万台以上の監視カメラがあるというアメリカ社会の現実を描いたサスペンス・ドラマ。全編監視カメラの映像によって作られた問題作。
全編監視カメラの映像と言っても、実在の監視カメラが捉えた現実の映像を組み合わせて作ったというわけではない。実際に監視カメラが設置されうる場所に監視カメラを設置し、その前で俳優が演じて、それを編集してドラマに仕立てるというわけだ。そう書いてしまうと監視カメラでも何もないように感じられると思うが、実際に監視カメラが設置されうるところにカメラが設置されているということは、この作品のようなことは現実に起こりうることを意味している。ただ、現実には無数にあるカメラが捉えたばらばらの映像を関連付けることが困難であり、この作品のようにばらばらな場所で捉えた映像から一貫した物語を作り上げることは不可能に等しい。
しかし、この作品にはリアリティがある。それは私たちが犯罪報道や、“ハプニング映像”などで監視カメラの映像に見慣れているからであり、監視カメラの不鮮明で荒い映像にこそ逆にリアリティを感じてしまうようにすでに条件付けられてしまっているのだ。この作品は私たちのそのような感覚を利用してドラマを作り上げているといえる。
そのドラマの内容のほうは、それなりという感じだ。複数の物語を平行させて展開させ、それが時に交錯するという方法は、このような群衆ドラマの常套手段ではあり、それを忠実に守っているという感じだ。問題となるのはやはり、監視カメラというロングショットの固定カメラのみを使っているので、クロースアップが使えず、表情や細かなしぐさから登場人物の心理を描くことができないという点だ。そのため人間ドラマとしての濃厚さは薄れてしまっている。
しかし、昨今の映画というのはまずアイデアが重要であり、その点でこの作品は非常にいいアイデアの映画だという印象を受けた。この作品が言っているのは、誰もが常に見張られている監視社会が現実のものとなっているという警句だ。それはジョージ・オーウェルが「1984年」で1949年にすでに予見していたことであり、さらに言えば1791年にジョージ・ベンサムが「パノプティコン」を構想した時点ではじまっていた現象である。
この作品のアイデアが本当に素晴らしいのは、そのことに人々がまだ気づいていないという点を明らかにしていることだ。この作品に登場する人々はみな監視カメラに撮影されていることを知らない。だから万引きをしたり、ATMを壊したり、店の中で暴れてみたりする。本当に恐ろしいのは監視されていることそれ自体ではなく、それに気づかないということなのだとこの作品は言っている。多くの監視カメラは人々の目から隠され、撮影された映像が人々の目に届くのはそこで犯罪が行われたりしたときだけなのだ。
私はこれは非常に重要なことだと感じた。そもそもジョージ・ベンサムが「パノプティコン」(刑務所の建設計画として提言された監視システム。中央に監視塔がありそれを中心とした円周上に房があることで常にその内部が見通せるようになっている。また、房からは監視塔の内部が見えないことで、常に見張られているという感覚を囚人に植え付けることができる。)を構想した時点では、「監視されている」と認識させることが重要だった。見られていれば人は悪いことをしない、それが原則だったはずだ。しかし現在は、こっそりと監視して悪いことをしたら捕まえるという発想になっている。これは非常に大きな転換だ。監視システムが抑止力としてではなく、警察力として働いているということだからだ。
私は監視システムは抑止力として働いてこそ意味があると思う。社会は悪い者を罰するためではなく、悪い者が現れることを予防することにこそ力を注ぐべきだからだ。まあ、それではこの作品のようなドラマがカメラの前で展開されることはなくなってしまうのだが…