フリーダム・ライターズ
2008/9/15
Freedom Writers
2007年,アメリカ,123分
- 監督
- リチャード・ラグラヴェネーズ
- 原作
- フリーダム・ライターズ
- エリン・グルーウェル
- 脚本
- リチャード・ラグラヴェネーズ
- 撮影
- ジム・デノールト
- 音楽
- マーク・アイシャム
- ウィル・アイ・アム
- 出演
- ヒラリー・スワンク
- パトリック・デンプシー
- スコット・グレン
- イメルダ・スタウントン
- エイプリル・リー・エルナンデス
- アレクサ・ダヴァロス
1994年、弁護士を辞め、理想を持って人種条項が撤廃されたウィルソン高校に国語教師としてやってきたエリン・グリーンウェル。しかし、外の世界の人種間対立を教室にまで持ち込む生徒達は彼女たちの話など聞かず、毎日を生きていくのに必死だった。しかも、そんな生徒達を見下す教師達も彼女に力を貸さない。一系を案じたエリンはひとりに1冊ずつ日記帳を配ることにする。
実際に、高校の生徒たちによって出版されたベストセラーを元に作られた感動のドラマ。
ひとりの新人教師が人種間でいがみ合う生徒たちを少しずつ変えてゆくという物語。育ちのいい新人教師のエリンは、人種間の対立によって死と隣り合わせの生活を送る生徒たちにショックを受ける。そして彼らがその世界から抜け出せるように骨身を削って努力をするのだ。いろいろなアイデアを絞って、彼らに興味を持たせ、少しずつ打ち解けてゆき、自分の考えを理解させていく。その努力には頭が下がる。
彼女のやり方は決して手放しで賞賛できるものではない。しかし、親と周囲の大人たちによって人種という価値観がすべてだと植え付けられてしまった子供たちにとって、彼女の考えかたは実際的ではないとはいえ魅力的だった。彼女の描く夢のような世界と自分の現実とを比べ、自分のとりうる行動と、自分を待ち受ける未来について考えたとき、彼らには初めて可能性が開ける。この物語では全員が全員エリンの教えに従ったことになっていて、そのあたりがどうもうそ臭く感じられてしまうのだが(彼女のやり方に従って全員がうまくいくというわけではないはずだ)、彼女の存在が生徒達にとって非常に重要だったことは間違いない。彼女は生徒達に違う未来を選択しうる可能性を提示したのだから。
高校生ぐらいの時にはさまざまな価値観やさまざまな考え方に触れることが重要だ。しかし、同時にその世代というのは仲間内に固まり、他者を排除する傾向が強いこともまた事実だ。それは、ある種の「大人への階段」であり、ぬくぬくとした仲間世界から衝突や軋轢のある社会へと出てゆく段階であるのだ。エリンのやったことは、この段階があまりにも困難になっている現実(仲間世界から社会にいきなり出て行くことは彼らにとっては文字通り死を意味する)の中で、人種という仲間とは別のもうひとつの仲間社会を提供したことだ。このもうひとつの仲間社会によって彼らは安全な場所に引き続き射られると同時に今までとは別の角度から物事を眺めることができるようになり、社会と直面する準備が出来る。
その観点から言うと、彼らは彼女の2年間の授業を経てまずは学校という比較的安全な“社会”の中に解き放たれ、他の教師の授業を受け、他の生徒達と接することでさらに実際の社会との距離を縮めるべきだったのではないかと思う。もちろん、彼らや学校の具体的な状況がはっきりわかるわけではないから、それすら困難なことだという可能性も否定は出来ないが、この作品がどこか胡散臭く感じるのは、エリンが生徒達を囲い込み、新たな仲間世界の中にとどまらせてしまっているということだ。いわばエリンは彼らを自分の世界の信奉者にしてしまっている。
エリンは教師よりも政治家に向いているといったらわかりやすいのかもしれない。彼女は確かに生徒達を変えたが、彼女は教師であるなら、自分もまた間違っている可能性がある、というよりはむしろ彼女もまた批判的な目で見られるべきであることを生徒に納得させなければならないはずだ。盲目的に彼女を信じるようになってしまった生徒達を待っているのは、以前と同じく厳しい社会だ。本当は彼女はそのための準備を2年間で終えなければならなかった。もちろん、このような批判は彼女が完璧に見えてしまうことから来るものだ。彼女自身ではなく、彼女をそのように見せてしまうこの映画に問題があるんだろうとは思う。
エリンと生徒達は間違いなく勇気と元気を与えてくれる存在だ。どんなに激しく厳しい状況でも、希望が完全に失われることは決してない。彼らだって見捨てられたわけではないということさえわかれば前進できる。そんなことを語りかけてくるのだ。