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ベストセラー

蟻の兵隊

★★★★.5

2008/9/29
2005年,日本,101分

監督
池内薫
撮影
福居正治
戸山泰三
音楽
内池秀和
出演
奥村和一
preview
 80歳になる奥村和一は第二次大戦終了後も所属していた部隊ごと中国に残留、中国国民軍の一員として中国共産党と3年間戦った。その後帰国した彼らは志願して残留したとみなされた。彼らは国に対し裁判を起こし、奥村はそのことを証明する証拠をつかもうとするが…
  “日本軍山西省残留問題”から戦争と国家を描く社会派ドキュメンタリーだが、同時に奥村和一という個人の物語でもある秀作。
review

 この作品の題材はあくまでも“日本軍山西省残留問題”という社会問題である。その問題とは、終戦後も上官の命令で軍隊として中国に残り、中国国民軍(つまり国民党側の軍)の一員として中国共産党との内戦を3年間戦った兵士たちが帰国後、志願による従軍とみなされ、戦後補償を拒まれているという問題である。もちろん、帰ってきた人々は日本軍の軍人であったので、終戦のときまでに対する補償はあるが、それ以後について補償はなく、生きて帰れなかった人々は戦死とはみなされず、それに対する補償はないということを意味する。
  私はこの問題をよく知らなかったのだが、この作品を見て奥村さんの言葉でああと思ったのは、軍の命令で残ったということを認めたら「ポツダム宣言に違反する」ということである。つまり、彼らが軍の命令で従軍していたということは理論上ありえないのである。おそらく、ここで槍玉に挙げられている澄田司令官が戦後も残存する国内の一部の勢力と結託し、中国国民党との密約を結んで、そのような行動を起こしたのだろう。これは上官の命令ではあるが、はたして国の命令といえるかどうかは疑問だ。
  この作品はこのあたりの争点を描いていない。だからこの裁判が不当なものに見えてしまうわけだが、実際には不当かどうかはわからない。彼らが澄田司令官と一部の軍幹部による暴走の被害者なのだとすれば、国に責任を問うのは難しいし、彼らの従軍期間を正当な従軍期間と同じく扱うのも難しい。ただ、補償というのはまた別の問題ではないかと思う。彼らが自らの意思ではなく、澄田司令官という国の機関(個人であっても司令官は国の機関であろう)の命令によって行動したのなら、国はその機関の不法行為に対して責任を取り、その損害を補償すべきではないかと思う。
  まあ、この詳細は映画では描かれていないので、あくまで私の私見であることを断っておく。この詳細が描かれていないというのはこの作品の欠点のひとつではあるが、私はこの作品を評価するのは、そのような社会的な意味によってではない。

 私がこの作品を評価するのは、この映画が奥村和一という元日本兵の個人の物語であるからだ。彼はこの“日本軍山西省残留問題”の裁判に心血を注ぎ、戦い続けることで生きる力を維持し続けているわけだが、そのそこには彼のその当時中国での行動に対する後悔や自責の念があるのだろうと思う。彼は、調査のため(すなわち、決定的な証拠を見つけるため)に山西省へと出向くが、そのときに彼がやりたいこととしてあげたのは「自分が人を殺した場所に行く」ことであり、その状況を知っている人に話を聞いてみたいということであった。
  彼は、初年兵で中国へ行き、「人を殺すことに慣れる」ために命令で抵抗できない中国人を突き殺した。彼はそのことを妻にも言えず、しかしその場所に立ちたいと願ったのだ。それは彼がいかに死者に報いるかということを真摯に考えている証左ではないかと私は思う。彼はおそらくその後、何人ももしかしたら何十人も中国人を殺しただろう。しかし、それは彼自身の言葉にもあるように、理性が崩壊し、殺人マシーンと化した軍という組織による殺戮であった。彼は自分は強姦していないといいながら、「誰がやった誰がやらない」という問題ではないという。軍という組織がそれをやらせた以上、全員が加害者というわけだ。
  だからこそ彼は、自分をその非常な“軍”に正式に招きいれた最初の殺人を消化し、その死に報いる方法を探したいと考えたのだろう。そして、彼が裁判に心血を注ぐのも同じ理由なのだ。彼は死者のために裁判を闘っている。命令で仕方なく従軍し命を落としながら、自ら望んで従軍したとみなされる戦友の無念、それを晴らさんがために裁判を闘っているのである。
  映画の終盤、少女のころに日本軍にさらわれ輪姦されたという女性と会い、語らうシーンは本当に感動的だ。彼が望むのは、自分たちの行動の真実を世間に知らしめ、その被害を受けた人たちに報いることなのだ。

 映画としては、物語として組み立てられた演出が素晴らしい。風景や一見無関係に見えるシーンのインサートが効果的だし、音楽の使い方もいい。ただ、時折その物語の素材となる映像が粗雑と思えてしまうところもあった。たとえば、裁判所の看板を写しているシーンで映りこんだ記念写真を写す若い女性の不審げな目、裁判所の看板なんてのはいつでも撮れるのだから、作品とは無関係なその視線は排除するべきだったのではないか。
  ドキュメンタリーだから演出はいらないのではなく、ドキュメンタリーだからこそ入念な演出が必要なのだという信念をこの監督は持っているように思えるだけに、そのあたりの詰めの甘さが少し残念だった。
  しかし、ここ数年のドキュメンタリー映画の中でも指折りの作品であることは間違いない。

Database参照
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国別・年順: 日本90年代以降

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