この道は母へとつづく
2008/10/6
Italianetz
2005年,ロシア,99分
- 監督
- アンドレイ・クラフチューク
- 脚本
- アンドレイ・ロマーノフ
- 撮影
- アレクサンドル・ブーロフ
- 音楽
- アレクサンドル・クナイフェリ
- 出演
- コーリャ・スピリドノフ
- マリヤ・クズネツォーワ
- ダーリヤ・レスニコーワ
- ユーリイ・イツコーワ
- ニコライ・レウトフ
ロシアの孤児院にやってきたイタリア人夫妻は孤児のひとりワーニャを養子にとることに決める。しかし数日後、その孤児院に以前養子として引き取られていったムーヒンの母親が息子を探しにやってくる。その母と話したワーニャは自分の母親のことを思い、母を探そうと決意するのだが…
現代ロシアの社会を描いた感動物語。母を捜し続ける少年の姿は感動を誘うが、少々表層的過ぎる気も。
養子となって外国へ行くというのは、孤児たちにとって幸せになる可能性のある数少ない道の一つだろう。特に、その孤児院が個人的な利益の追求のために使われ、子供たちも働かされ、引き取られないまま青年になった子供たちがそのまま見捨てられる環境ではなおさらである。
しかし、小さな子供たちにとっては豊かな養父母に育てられるより、貧しい実母(実父ではない)に育てられるほうがどれだけ幸せかということも確かである。
この作品は、そんな境遇に置かれた6歳の少年の葛藤を描く。6歳の孤児ワーニャはイタリア人夫妻の養子となることが決まるが、その数日後、友だちだったムーヒンの母が息子を探しにやってきて、息子にもはや会えないとわかると失意のうちに帰ってゆく。ワーニャはその母親と直接話し、さらに数日後、彼女が自殺したという知らせを聞く。そこでワーニャは自分の母親が同じ境遇になってしまうのではないかという怖れに駆られ、実の母親を(生きているにしろ死んでいるにしろ)探そうと決意するのだ。
そのワーニャの母探しの物語は特に面白いというものではないが、そこで描かれる孤児たちの生活は興味深い。孤児院で育った青年達は孤児院の地下室で暮らし、孤児院を手伝う者もいれば、外で売春をする者もいれば、盗みなどの悪さを働くものもいる。小さな子供たちもその青年たちの指示のもとガソリンスタンドで働いたりしている。
そして、母探しの旅の中でワーニャが見せる“生き延びる力”も孤児ならではのものと納得させられる。降参したように見せかけて不意をついて反撃して逃げる、嘘をついて周囲の人たちを味方につけて追っ手の足を止める。そのようなサバイバル法を6歳にしてすでに身に着けてしまっているワーニャから孤児の問題の深刻さが浮かび上がってくる。
そして同時にこのように孤児が生まれてしまう社会的状況というのも浮き彫りになっていくわけだが、その点ではこの作品はあまり評価できない。この作品を見る限り、ロシアに孤児は多いようだが、その社会的な原因が明らかになることはないし、その社会的状況を問題化することもしていない。それを完全に無視したことによってこの作品は、単なるメロドラマになってしまっている。実の母を探そうと必死の6歳の少年の健気さで観客の涙を誘おうというさもしいドラマと化してしまうのだ。
それはこの作品の終わり方で端的に示される。見せ掛けのハッピーエンドで終わるこの作品は、このようなドラマが生まれてしまう原因を完全に棚上げし、その問題から人々の目をそらさせてしまう可能性が高い。
別に映画が社会派でなければならないというわけではないが、このような社会的な問題を扱った以上は、何かしらのメッセージを観客に残すのが、映画の作り手たる条件なのではないか。それが出来ないなら、観客がそのようなメッセージを求めない作品を撮るべきではないか。