恋愛依存症
2008/10/7
Come Early Morning
2006年,アメリカ,97分
- 監督
- ジョーイ・ローレン・アダムス
- 脚本
- ジョーイ・ローレン・アダムス
- 撮影
- ティム・オアー
- 音楽
- アラン・ブリューワー
- 出演
- アシュレイ・ジャッド
- ジェフリー・ドノヴァン
- ローラ・プリポン
- ダイアン・ラッド
- スコット・ウィルソン
アメリカ南部の街、祖父母の世話をしながら建設会社で働くルーシーは酔っ払っては知り合った男と一夜限りの関係を結んでいた。ある夜、行きつけのバーでキャルと知り合い、今回はいつもと何かが違うと感じるが、いつものように酔っ払ってしまい…
アシュレイ・ジャッド主演のラブ・ストーリー。あまりか南部が舞台ということでレトロな感じがするが、悪くはない。
日本にやってくるアメリカの映画の多くはその舞台がニューヨークとかシカゴとかロサンゼルスなんていう大都会だ。しかし、この作品は南部の名も無き街、住人たちはカントリー音楽を愛し、夜な夜なバーでビールとウィスキーを楽しむ。そんな環境で展開される恋愛ドラマは現代的な作品とは少し違って、どこか懐かしい感じがする。
そして、白人しか登場しないということと、教会が重要な要素として登場するというのも独特さを生んでいると思う。この部分にはいろいろと批判のしようもあるし、日本人には理解できない部分も出てくるのだけれど、まあこの作品ではそれは言わないことにしようと思う。それは、そのような批判が無意味だからだ。アメリカにはいまだこういう社会が存在し、彼らの中には人種差別主義者もいるかもしれないけれど、それは物語に関係ないし、これがアメリカの限られた地域の話でしかないということを理解していればそれでいいからだ。
というわけで、物語のほうに注視すると、酔っ払うほど飲まないと男と会話することも出来ないルーシーは酔っ払うと簡単に男と寝てしまう。それは酔っ払わないと舞台で演奏できなかったという父親から受け継いだ性質、それが原因でルーシーは男性と長続きする関係が結べないということがテーマになっている。
それはなぜなのか。おそらく彼女はすべてを自分だけで解決してしまおうとし、それを周囲にも求めている。最初のシーンで一夜の関係を結んだ男と泊まったモーテルの料金を意地でも払おうとするのは、そのような姿勢の表れだ。それでいながら、父親や祖父母に手を差し伸べるのは自分が他人のために働いていることに対する自己満足得るためだ。しかもルーシーはそのことに気づいていない。
この物語はラブ・ストーリーのようでいて、恋愛がテーマではなく、ルーシーの“自分探し”がテーマとなっているのだ。これからの人生をよりよく生きるために自分を見つめなおし、自分の欠点に気づき、それを何とか変えようとする。それにはさまざまな犠牲が伴い、自分も傷つき、時には人も傷つけるけれど、それを乗り越えて初めて自分にとっても周囲にとってもよりよい人生をスタートできる。そんな王道の人生論を語っているようで、こんなふうに変わることができればいいなと思わせてくれる。
もちろん、そんな簡単なことではないのだが…
ビデオスルーになってこの『恋愛依存症』というタイトルがつけられたのだと思うが、これはいまいち。このルーシーの恋愛を端的に表すなら『恋愛自家中毒』とでも言うべきか。