アンダー・ザ・ツリー
2008/10/14
Di Bawah Phohon
2008年,インドネシア,107分
- 監督
- ガリン・ヌグロホ
- 脚本
- アルマントノ
- 撮影
- ヤディ・スガンディ
- 音楽
- カデッ・スアダルナ
- 出演
- マルセラ・ザリアンティ
- ナディア・サフィラ
- アユ・ラクスミ
- ドゥイ・サソノ
ジャカルタからバリへとやってきたマハラニはシャーマンのお告げでウブドの踊り手のところに行くことにする。妊娠中の女性デウィは病院の診察でおなかの子供が無脳症であることを知る。海辺のコテージに滞在するニアンは何をするでもなく刺青師のダルマの後をついてまわる。
バリ島で時を過ごす3人の女性を描いたヒューマンドラマ。バリ島の風俗もふんだんに盛り込まれている。
映画の中心にいるのはジャカルタからバリへとやってきた女性マハラニ。彼女は養子で実の母を探してバリ島へやってきたらしい。シャーマンのお告げでウブドに住む踊り手のマユンのところに行くが、特に何をするわけでもなく、マユンのバイクの後ろに乗ってかごを作っているソコのところに行ったりするだけの日々だ。
妊娠している女性デウィは産科医の診断でおなかの子供が無脳症(anencephaly)だと診断される。夫が不在の中、生まれても生きていける可能性はない子供を抱えて苦悩する。
19歳のニアンは何をするでもなく海辺で日々を過ごし、刺青師のダルマの後をついて歩く。物語の終盤で彼女が金持ちの娘だが、父親が不正でつかまってしまったことがわかる。
この作品は、その女性たちの姿を描くのだが、彼女たちの行動の目的も、その心理も、事態の推移も、ほのめかされることによってしか語られない。ほのめかしは高尚さの証左ではない。この映画はすべてをほのめかしにとどめることで、観客をスクリーンの外へと追いやり、スクリーンの中で演じられていることを他者の物語でしかないと感じさせてしまう。
時間軸があいまいなのも物語の理解を困難にする。3つのエピソードが時に遭遇することもあるのだが、そこにドラマが産まれることはなく、それが映画としての一体感を損なって逆に全体の見通しを悪くしてしまう。急に思いがけない大きな音を立てたりするという音響効果もそれが持つ意味が明らかでなければ逆効果だ。
最終的にはマハラニは母が踊り子だったことによって、デウィは踊りに救いを見出すことによって、ニアンはダルマの演じる芝居を目撃することによって、踊り=芝居が共通項として浮かび上がってくる。しかし、最終的に演じられる芝居までの過程で3人とその芝居との関係が感情的な部分では描かれていないので、なかなかその芝居に思いを入れることはできない。それならば、マハラニがたびたび訪ねるソコを中心に物語を組み立てていったほうがよかったのではないかと思った。
この映画の中で登場人物たちがむき出しにする感情は、締め切られた部屋の中で反響し、彼女たち自身に戻ってくるだけだ。感情の捌け口を見出せないということが劇中のニュースで流される母子心中につながるということを言いたいのかもしれないが、どうもいまひとつぴんとこない。この作品は、そのようなことを描いているようでいて、彼女たちへの愛情が感じられない。そのような悲劇を描こうとするなら、彼女たちが抱える暗さを引き受けるようなことをしないと観客には伝わらない。描こうとしていることはわかるのだが、どうもそれに対する取り組み方が的外れと感じてしまう作品だった。