ハーフ・ライフ
2008/10/19
Half-Life
2008年,アメリカ,106分
- 監督
- ジェニファー・パング
- 脚本
- ジェニファー・パング
- 撮影
- アスラフ・ウルフ・オースタッド
- 出演
- サノー・レイク
- アレクサンダー・アゲート
- ジュリア・ニクソン
- ベン・レッドグレーヴ
- レオナルド・ナム
- リー・マークス
カリフォルニア州の内陸の街ディアブロ・バレー、環境破壊による危機が迫る中、19歳のパムは母と弟のティムと母の若い恋人ウェンデルと単調な毎日を過ごしていた。パムの親友スコットはアジア系の養子で両親はキリスト教原理主義者だがスコット自身はゲイでジョナという恋人がいた。
単調な毎日の閉塞感と地球の危機、それをさまざまなイメージによって描いた映像詩。監督は中国系マレー人とベトナム人の両親を持つジェニファー・パングでこれが長編デビュー作となる。
自分は子供の頃、どんな想像をしていただろうか。青年の頃、何を夢想していただろうか。頭の中だけで考えていたことは時とともに蜃気楼のように不確かなものになり、気づかぬうちに消えてしまう。
この作品はそんな少年の創造を、青年の夢想を、大人の空想を、子供から大人へのさまざまな段階の人々を通して見せてくれる。冒頭でパムが言う「宇宙にひきつけられる」ように、自分の中にある極右へとひきつけられてしまう人々は、現実との間に齟齬を生じ、そのギャップを埋めるために飛躍が必要になる。パムの屋根からのジャンプはその飛躍の肉体的な表現であり、ティムのイメージの逃避(彼は決して文字を書かない)はそのギャップが埋められていないことの証左である。
しかし、その飛躍はパムの屋根からのジャンプが彼女の肉体を傷つけるように、心に瑕を重ねてゆく。その飛躍を避けているがために傷つけられていることは免れているティムは、しかし現実とうまくやっていくことができていない。そこでティムは傷を受けながらその飛躍を行うことを拒否する代わりに、自分の想像を現実のほうへと反映してゆく手段を見つけていくのだ。
それは非現実的でありえないことのように見える。しかし、それが事実だったのかとか、そのことの意味といったものを問うことは必要ない。映像の一部がアニメーションによって示されているのは、この作品が現実と空想の間を自由に行き来することができる世界を描いたものだからだ。それはつまりこの作品が実際に目に見えるものと観念として頭に描かれるものを区別することに意味を見出していないということである。
このような作品は終局的には観客の感覚に頼るしかない。この観念的な世界を感じ取ってもらえるかどうか、それによって見る側が作品にコミットできるかどうかが決まってくる。私はこの感覚がすごくよくわかった。劇中にTVから流れる「大発生したクラゲを駆除するために漁師が海に毒薬を流した」というニュース、その理解しがたさが現実と“私”とのギャップであり、私にとっての世界と現実とのギャップなのである。
いまの世の中には理解しがたいニュースが多すぎる。そんな風に思っているなら、この作品を観念的に捉えることができるはずだ。そして、観念的にものを捉えそれを自らの観念とすり合わせることは空想力を取り戻すことにつながる。空想なんて現実には何の役にも立たないと思うかもしれないが、空想を現実に反映しようとすることによって新しいアイデアが生まれることはある。ティムのように超自然的な力を身につけることは望めないにしても、ちょっとしたアイデアによって現実が少しは生きやすくなるかもしれない。この作品の閉塞感は逆説的にそんなことを語りかけているように思える。