私のマジック
2008/10/24
My Magic
2008年,シンガポール,77分
- 監督
- エリック・クー
- 脚本
- ウォン・キムホー
- 撮影
- エイドリアン・タン
- 音楽
- ケビン・マシューズ
- クリストファー・クー
- 出演
- ボスコ・フランシス
- ジャテスウェラン
いつも酔いつぶれて帰ってくる父親を軽蔑する息子。しかし、母親を家を出て、祖母も亡くなってしまったため友だちの宿題をやってお金を稼ぎ何とか切りもしていた。ある日、息子に軽蔑されていることに気づいた父フランシスは体を張ったマジックでお金を稼ぎ始める。
シンガポールの実力派監督エリック・クーが撮った親子ドラマ。シンガポールの場末の雰囲気がいい。
ダメ親父に愛想を尽かしながらもがんばって暮らして行くけなげな息子、子供ながらにがんばりながらもやはりその生活はつらく厳しい。頼るべき母親は顔も覚えていないくらい昔にいなくなり、母代わりだった祖母も亡くなってしまった。だから頼れるのは父親だけなのだが、その父親が飲んだくれの完全なダメ親父しっかり者の息子も時にはぶち切れても仕方のないことだ。そして、ぶち切れた息子を見てはたと気づく父親、という話だ。
話自体はたいしたことはない。たいしたことがあるのは、はたと気づいた父親がやるマジックである。マジックというよりはただ我慢しているだけなのだが、火を飲み込んだり、針を体に刺したり、割れたガラスの上に寝てみたり、体で棒を負ってみたり、とにかく普通の人がやったら怪我をしそうなことを平気な顔でやるという芸、それがなんとも…
昔からやっていたとはいえこんな芸ばかりをやるというのは、子供のためという大義名分のほかに、どこかで自己破壊衝動があるのではないかと思わせる。酒に溺れるのと体を張ったマジックというのは実は連続していて、どちらもどこかで自分を破壊したいという衝動に駆られているのだ。酒に溺れているだけでは本当に体を壊すだけで何もならず、その理由も明らかではないのでただのダメ親父にしか見えない。しかし、息子のためにもなるマジックをやることにし、その理由が最後に明らかになると、この物語に納得できるようになる。
これは間違いなく親子愛の物語だ。奇をてらった際物ではなく、純粋な親子愛の物語なのだ。父親と息子というのはなかなか理解しあえない、フロイトならエディプスコンプレックスというのかもしれないが、理由はともかく洋の東西を問わず当てはまることのようだ。不器用な父親は息子に愛情を示す方法がわからず、息子の母親に頼ろうとするが不在である。同時に彼は自己破壊衝動を抱えているために、自己を犠牲にして息子のために行動するという選択をする。父親が自分のために犠牲になったことで息子の心には瑕が残るが、父親としては他に方法はなかったのだ。父親にとってはこれが可能な唯一の和解の申し出であり、息子がそれを受け入れてくれるよう祈るしかない。
が、別にこの作品からそんなことを読み取ろうとするのは考えすぎだろう。この物語は衝動に駆られた父親の行動をめぐる物語に過ぎない。彼の自己破壊衝動は中国とインドが混じったようなシンガポールの下町の雰囲気とぴたりと一致し、悲痛な叫び声を上げる。うらびれた雰囲気の街に暮らす貧しい親子、その親子が絶望の中に希望を見出すのはそうたやすいことではない。