トルパン
2008/10/26
Tulpan
2008年,ドイツ=スイス=カザフスタン=ロシア=ポーランド,94分
- 監督
- セルゲイ・ドヴォルツエヴォイ
- 脚本
- ゲンナージー・オストロフスキー
- 撮影
- ヨラ・ディレフスカ
- 出演
- アスハット・クチンチレコフ
- サマル・エスリャーモヴァ
- オンダスン・ベシクアーソフ
- トゥレプベルゲン・ハイサカーロフ
ガザフスタンの草原地帯に暮らす水兵あがりのアサは嫁をもらうためにトルパンという娘の家に行くが断られる。しかし自分を一人前と認めない姉の夫オンダスとの暮らしに耐えられない彼はなんとか結婚してもらおうとするのだが…
カザフスタンを舞台にした青春映画。珍しいが映画としてはいまひとつ…
都会に行きたくないがゆえに田舎に残ることに決め、羊をもらうために嫁をもらおうとするアサ、その考え方は短絡的であり、彼が甘ったれた若者であることは間違いない。羊飼いの生活には無用な水兵の経験を自慢し、海での眉唾な体験談をすることは草原ではまったく何の意味もなく、アサはそのことに気づいていない。
アサの姉の夫オンダスはその彼の甘ったれた根性を見抜いている。だからつらく当たるわけだが、だからといって彼が正しいかといえば、彼にも行きすぎな点はある。それは彼自身がまだ羊飼いとして完全に一人前ではない(ボスという人物に雇われているか、羊を借りている架している)し、義理の弟という彼にとっては他人の存在が彼の負担を増やし、同時に妻子との関係に小さいながらも楔を打ち込んでいることに我慢ならないのだろう。義理の弟よりも実の息子をかわいがるのは人間の心理としてしごく当然のことだ。アサは実はオンダスに心情に反した平等を求めているのであり、彼にそんな権利があるとは私には思えない。
さらには、末っ子のかわいいけれどいらだたしくもある高い声、娘のうまいけれど耳障りでもある歌声、それらが心地よくないものとして聞こえるのも、父親の苛立ちを観客に共有させるためかもしれない。その効果は出ていると思うが、それらの声や動物の鳴き声によって、この作品は始終耳障りな音に満ちていることになってしまう。主人公が学ぶべき自然の厳しさを考えれば、仕方のないことなのかもしれないが、その不快さと比べてメッセージが弱すぎはしないか。最終的にストンと心の中に落ちるものがあれば、その過程の不快さも許容できるのだが、甘ったれた若者が自然から学というありきたりのメッセージだけでは弱すぎるのだ。
そして、カザフスタンの風景を厳しいばかりで美しいとは感じられないのは、根っ子にある原風景が異なるからだろうか。猥雑な都会の喧騒よりはいいかもしれない。しかし、長々とこの風景を見せられた後で、都会の夜景の写真を見たときに、都会のほうに安心感を感じてしまう。私にはこの映画を感じる力がないのだろう。しかしそれはこの映画が観るものを限定してしまう映画でもあるということなのだ。