プラネット・カルロス
2008/10/30
Planet Carlos
2008年,ドイツ,86分
- 監督
- アンドレアス・カネンギーサー
- 脚本
- カトリン・リュートゥー
- 撮影
- シュテファン・ファルッチ
- 音楽
- マーティン・シュベン
- 出演
- マリオ・ホセ・チャベス・チャベス
- クリステル・ソフィア・サンチェス・エルナンデス
- キャサリン・メルセデス・モリーナ・セラジャ
- メルセデス・アントニア・コレア・グティエレス
- シルビオ・レネ・ゴンサレス・ゴメス
13歳のカルロスはニカラグアのスラムで暮らし、クラスメイトと観光客向けの劇をやってお金を稼いでいる。しかしある日けんかをしてグループを辞めさせられてしまう。母親にそれをいえないカルロスは別の方法でお金を稼ごうとするが…
ドイツ人のアンドレアス・カネンギーサーがニカラグアで暮らしながら取り上げた少年の成長ドラマ。
ニカラグアは決して豊かな国ではない。その国のスラムで暮らす少年カルロスは頼もしい母親のおかげで学校に通えてはいるが、何らかの形でお金を稼ぐことを求められてもいる。そのためにクラスメイトとヒガントーナ(ニカラグアの伝統的な演劇、詩を朗誦しながら音楽に合わせて人形が踊る)の劇団を作って観光客相手に披露していた。しかし、詩人になりたいと願うカルロスはグループのリーダーと喧嘩をしてやめさせられてしまう。そのためお金を稼ぐために物乞いや詐欺まがいのことまでする。しかし結局は市場での重労働に従事することになるが、詩人になる夢はあきらめきれない。
そんなカルロスが成長している姿をこの作品は描いているわけだ。その背景にあるのはニカラグアの現実の厳しさであり、ストリート・チルドレンも多く、少年が夢を追い続けるのは難しい環境だ。父親(カルロスの実の父親ではないが)は怠け者というわけではないが仕事が見つからず、周りの大人たちも似たようなものだ。カルロスの母親は子供想いで頼もしいが、やはり限界もある。
この作品が言おうとしていることはよくわかる。厳しい現実の中で成長していく少年、それぞれにぎりぎりの状況の中で協力する家族、どんなにつらくても夢を失わないことの大切さなどである。
しかしどこか地に足が着いていないという印象も受けてしまう。それはやはりあくまでもこの作品の視点が外部からのものに過ぎないからだろうか。状況の厳しさはわかるが、そのさなかにいる人々の心情というのはいまひとつ伝わってこないのだ。外国人の監督だからというわけではおそらくない。
この作品はただつらい現実、厳しい生活を描いているだけで彼らが日々の生活の中で感じる喜びやその中で感じることができるわずかな希望が伝わってこないのだ。厳しい現実を生き抜くカルロスに明るい未来は見えない。いくらあきらめるなといわれても、そう思える根拠が彼にはないのだ。まだ子供であるがゆえに抱くことができた根拠のない自信や夢はどんどんすり減らされてゆく。
この作品の世界と観客の世界は見終わった後も隔たったままだ。私たち自身の生活の豊かさをありがたく思い、彼らに希望を与えるために何ができるかを考えるためには、二つの世界をつなぐ何かが欲しかった。