ウォー・ダンス / 響け僕らの鼓動
2008/10/31
War Dance
2006年,アメリカ,107分
- 監督
- ショーン・ファイン
- アンドレア・ニックス・ファイン
- 撮影
- ショーン・ファイン
- 音楽
- アーチー&スペンサー
- 出演
- チャオ・ベンシャン
- ホン・チイウェン
- ソン・タンタン
- フー・ジュン
長い内戦に苦しむウガンダ北部、その避難民キャンプにある小学校の子供達が地方予選を突破して全国音楽大会に挑むことになった。
彼らの大会までの練習風景をその中の3人の子供へのインタビューを交えて撮った感動のドキュメンタリー。ウガンダで起きたことに目を向けさせられ、さらに彼らのプライドや、音楽が人々を癒すという事実にも驚かされる。サンダンス映画祭でドキュメンタリー部門監督賞を受賞した。
ウガンダについて知る。避難民キャンプに国連からの食料が届くとき、人々は長い長い列を作る。私達にとってそれはアフリカ、そして難民キャンプという言葉から想起される馴染み深い映像だ。しかし、子供の一人は「これを本当のアメリカの人々の日常だと思って欲しくない」と言う。この言葉からはさまざまことが読み取れる。彼らにとってこの日常は本来のものではないと考え続けていること、そして彼らが世界の人々が自分達を見ているとわかっているということなどだ。
そして、その直後に映されるアフリカの大地は本当に美しい。木々が生い茂り、夕日が輝く。アフリカには肥沃な大地がありながら、人々は荒涼としたキャンプに押し込められている。その子の頭の中にある母なる土地はあくまでもその肥沃な大地であってこの荒涼としたキャンプではない。これはそのことを実感を持ってわからせる秀逸なシーンだ。
この作品はそのようにして私達にアフリカを伝える。しかし私たちはと言えばアフリカの国々や人々の区別がほとんど付かない。ウガンダ、ソマリア、エチオピア、マリ、ルワンダ。内戦、難民、少年兵、孤児、それらのキーワードでくくられるアフリカの紛争地域の区別がわれわれには付かないのだ。アフリカはどうしてこのようになってしまったのだろう。ウガンダというのが明確にアフリカのどこにあるのかもわからない私にはこの作品はあまりに心に引っかかる作品となった。
3人の子供が語る過去は本当に凄惨なものだ。もちろんエピソードとしてはさまざまな形で今までも伝わってきた。しかし、具体的にその本人がそのことを語る姿を見ると、このような過去を抱えた子供達がちゃんとした大人になれるなんて奇跡だと思えてくる。彼らはただ親や兄弟を失っただけではない。それよりもはるかに悲惨な経験を10歳にもならないうちにしてしまっているのだ。そしてまだ決して平穏な生活を送れているわけでもない。
このような子供達を見ながら私達ができることはただ「どうしたらいいんだろう」と途方にくれることだけだ。彼らは私達が一生かけて経験するだろう悲惨な経験の総量よりも多くの悲惨さをすでに経験してしまっている。そんな経験をしたにもかかわらず生き続ける彼らに感じるのは同情よりも尊敬だ。
そんな彼らが救いを見出すのは音楽である。音楽に情熱を捧げることで自分達にも何かができるということを信じる。自分の中の大事なものがほとんどすべて失われてしまってもまだ残った何かがあるに違いない。その想いが音楽を通して爆発する。
その彼らの姿を見て救われるのはむしろ私達のほうだ。彼らの現実を見ながら感じる不安と後ろめたさ、それは彼らの頑張る姿と笑顔によって緩和される。贖罪というわけではないが、この作品を見ることは私たちの心に何かを残す。
よいドキュメンタリーというのは本当に多くのことを語る。それは制作者の意図を超えてその中の人々が語り出すからだ、言葉によるとよらずとを問わず。この作品は本当に多くのことを私たちに語りかけてくる。長い間ひとりで弟や妹の世話をしてきたナンシーが久しぶりに母親に会ったとき、彼女の心には甘えたいと言う気持ちが生まれる。しかし母親の心もずたずたに引き裂かれ、そのナンシーの甘えを受けいられるだけの余地がない。この暖かくもなんとも悲しい二人の邂逅、そこに表れているのは、このアフリカの悲劇の根深さだ。
この悲劇を根本から解決することはもう誰にもできない。もはや過去は修復できなくなってしまったのだ。しかしだからこそ私達は芽吹いた若芽を大切にし、枝へ、幹へ、そして根へと癒しが少しずつ行き渡るのを待つしかないのだ。原因を追究するのではなく現状を変革する、それが今必要なのだ。
この作品が明らかにしたのは音楽というひとつの喜びが癒しとなり子供たちを救うことができるということだ。それは小さな一歩だけれど絶望的な状況に希望を投げかけてくれるまばゆい光だ。多くの子供達が音楽に限らず、さまざまなことによって自身と希望を取り戻し、戦争ではない未来を手にしたいと強く願うようになってくれること、そのことをただただ祈るのみだ。