ジャンパー
2008/11/5
Jumper
2008年,アメリカ,88分
- 監督
- ダグ・リーマン
- 原作
- スティーヴン・グールド
- 脚本
- デヴィッド・S・ゴイヤー
- サイモン・キンバーグ
- ジム・ウールス
- 撮影
- バリー・ピーターソン
- 音楽
- ジョン・パウエル
- 出演
- ヘイゼン・クリステンセン
- ジェイミー・ベル
- レイチェル・ビルソン
- サミュエル・L・ジャクソン
- ダイアン・レイン
高校生のデヴィッドは、同級生との諍いがもとで氷の張った川に落ちてしまう。溺れそうになった彼は次の瞬間、図書館に移動、彼は自分にテレポート能力があることを知る。母は5歳のときに家を出、父とも不仲のデヴィッドはひとりニューヨークへ、そこで銀行の金庫に忍び込む…
ヘイゼン・クリステンセンのSFアドベンチャー。映像はすごいが、ストーリーは今ひとつ。
テレポーテーション能力を手に入れた少年がちょっと銀行の金庫に侵入して大金を手に入れ、大物になった気になって初恋の女の子を迎えにいく。テレポーテーションなんていうSF的な味付けが加わってはいるものの、考えてみればこのデヴィッドは犯罪者なわけで、要は泥棒で稼いだ金を見せびらかしているだけ。これじゃあ、組織に命を狙われ、恋人を救うために命を賭けて、ヒーローっぽく演出されてもまったくもって共感は出来ない。
映画の中でもマーヴェルが言及され、『Xメン』との類似性が指摘されるわけだが、この主人公には超能力者であることの苦悩は感じられず、この物語には『Xメン』のような深みはない。主人公が「銀行から借りた」と自分に言い聞かせて能天気に豪勢な生活を満喫してしまうという設定では深みが出るはずもなく、その深みがなければこの物語には何の面白みもない。むしろ彼を追う“パラディン”のほうに理があり、悪役になるべき人間を主人公=ヒーローにしてしまったというミスリードを感じるばかりだ。
本当ならば、主人公が超能力者たることの苦悩を味わい、自分がその力を授かったことの意味を探求するという風になるべきなのだが、この映画ではそれを意図的に避けている。デヴィッドは豪華なペントハウスでニュース番組を見ながら、水害で孤立した人たちを気にも留めない。彼は力を自分のためだけに使い、しかもそれを自分が受け取るべき当然の贈り物であるかのように振舞っているということがこのシーンからあまりに明確に浮かび上がってくる。
となると、この物語の焦点が何なのか、まったくわからなくなってしまう。
それにテレポーテーションという現象の仕組みや来歴にもほとんど触れない。それはこの映画がリアリティを観客に与えようという試みを完全に放棄していることを意味する。理論的説明のないSF、それはSF(空想科学)ではなくファンタジー(完全なる空想)である。
まあしかし映像はなかなかすごい。特にアクションシーンのスピード感は瞬間移動ならではのものだ。あまりにすごい勢いで細部はよく見えないのだが、それが逆に瞬間移動を感じさせる演出になっていていいし、CGの粗も隠すことができる。クライマックスのアクションシーンだけを取れば、及第点の作品だと言えよう。
言うなればこの作品は、このアクションシーンのためにすべてが設計された作品。このシーンを盛り上げるために、物語の意味も主人公の人間性もすべてを無視したのだと考えれば、つじつまは合う。まあ、もちろんそれで納得がいくほどはすごいアクションシーンではないし、よっぽどのアクション映画ファンでなければ、唯一つのアクションシーンのために構築された映画を楽しめなどしないだろうが。
SF好きな私はテレポーテーションの可能性について考えて見たりしながら流し見た。世界が5次元だとしたら、テレポーテーションは理論的には可能だと思う。その5つめの次元がリサ・ランドールのいう“折りたたまれた次元”であっても、多くのSF作家が夢見、ミチオ・カクらが提唱する“並行宇宙”というかたちであっても可能なはずだ。ここで説明するには複雑すぎるので、リサ・ランドールの「ワープする宇宙」やミチオ・カクの「パラレルワールド」を読んでください。