パリ、恋人たちの2日間
2008/11/25
2 Days in Paris
2007年,フランス=ドイツ,101分
- 監督
- ジュリー・デルピー
- 脚本
- ジュリー・デルピー
- 撮影
- ルボーミール・バックチェフ
- 音楽
- ジュリー・デルピー
- 出演
- ジュリー・デルピー
- アダム・ゴールドバーグ
- ダニエル・ブリュール
- マリー・ピレ
- アルベール・デルピー
ニューヨークに暮らす写真家のマリオンとインテリアデザイナーのジャックはベネチア旅行の帰りにマリオンの実家があるパリで2日を過ごすことにした。ジャックは開けっぴろげなマリオンの家族に戸惑い、街でマリオンの元カレたちに次々出会うことで嫉妬を募らせていく。マリオンはそれを意にも介さないのだが…
女優のジュリー・デルピーが製作・監督・脚本・音楽・主演したコメディ・ドラマ。アメリカとフランスのカルチャーギャップが面白おかしく描かれている。
女優ジュリー・デルピーの監督作品、いったいどのような映画を撮るのだろうか、と興味深く見始めると、いきなり短いカットが連続してつながれそこにモノローグがかぶせられるといういかにもヌーヴェルヴァーグっぽいはじまり方をする。
そして、マリオンの実家に預けていた猫の名前はジャン=リュック、一緒に仕事をしたこともあるゴダールにオマージュを捧げるかのようなはじまり方をする。
しかし、映画が多分にゴダール的かというと決してそういうわけではない。ゴダールがとことん映画的であった(あるいは映画がゴダール的というべきか)のに比べると、ジュリー・デルピーはあくまでも日常を切り取るツールとして映画を利用しているように見える。
手法としてはヌーヴェルヴァーグを教科書にしているようだが、描こうとしているものはちょっと違う。そんな感じだ。
そして、フランス人ではあるが現在はLAに住んでいるだけあって、フランスを外からの目で眺めている。そしてそれをアメリカ人ジャックが感じる戸惑いと嫌悪を通じて表現する。やたらと喋り捲るタクシー運転手、フランス語がしゃべれなきゃ人間じゃないとでもいうような態度、相手のプライバシーにずかずか入り込んでくるずうずうしさ、などなど
マリオンも(そしておそらくジュリー・デルピーも)それを嫌っているからアメリカに暮らしているのだけれど、フランスに帰ってくるとやはりその空気に染まってしまい、そこに居心地のよさを感じてしまう。家族、昔の友達、生まれ育った町、それらが彼女をフランス人だったころに戻し、フランス的な行動をとらせてしまう。
それがジャックを戸惑わせ、ふたりの関係がギクシャクすることになるわけだけれど、それはジャックが本当の彼女を見てしまったことで恐れおののくということでもある。
この映画ではフランス人だけでなく、アメリカ人も最初から皮肉な笑いの対象になっている。
マリオンとジャックがパリに降り立ったとき、タクシー乗り場で前に並んだ観光客の集団は「ブッシュ/チェイニー2004」と書いたTシャツを着て「暗号解読ツアー」のためにルーブルに行く(ダビンチ・コードのあれだ)のだとジャックに話しかける。ジャックは彼らに知りもしないルーブルへの行き方を教えてまんまと列の一番前に来る。
このアメリカ人のバカさ加減の描き方は最高!ジュリー・デルピーには喜劇映画監督の才能があると思ってしまった。
マリオンの家族は誇張されて描かれて入るけれど、フランス人のイメージからは決して外れていない。マリオンの両親はジュリー・デルピーの実の両親でふたりとも舞台俳優、ふたりともあくの強い演技で笑わせてくれる。マリオンの父親が歩道に止めた車を鍵で傷つけていくところなんて最高ではないか。これに驚愕するジャックと平然としているマリオンの対照からもアメリカ人とフランス人の違いというのが見えてくる。
そしてマリオンとジャックの違い、フランス人とアメリカ人の違いが軋轢を生み、そこにドラマが生まれる。その男女の関係は物語の中心ではあるけれど、実は映画の中心ではない。その物語の中心に沿ってちりばめられたさまざまなペーソスこそがこの映画の本当の中身だと思う。
それはどこか散漫ではあるけれど、一つ一つが非常に面白い。
ジュリー・デルピーは14歳のころから映画監督になりたかったのだという。そして尊敬する映画監督はジョン・カサヴェテス。彼女はゴダールに影響を受けながら、目指すところはゴダールではなく、アメリカのインディペンデントの味わいなのだ。結果できた映画は女性版ウディ・アレンと評された。
ウディ・アレン同様、見る人によって評価の分かれる映画だと思うが、表現力に類希なものがあることは確かだ。