ティトフ・ヴェレスに生まれて
2008/11/27
Jas Sun od Titiv Veles
2007年,マケドニア=フランス=ベルギー=スロヴェニア,102分
- 監督
- テオナ・ストゥルガー・ミテフスカ
- 脚本
- テオナ・ストゥルガー・ミテフスカ
- 撮影
- ヴィルジニー・サン=マルタン
- 音楽
- オリビエ・サモイラン
- 出演
- ラビナ・ミテフスカ
- ニコリーナ・クジャカ
- アナ・コストフスカ
ユーゴスラビア時代はティトフ・ヴェレスと呼ばれていたマケドニアのヴェレス。大気汚染にさらされているこの産業都市に暮らす3姉妹、長女のスラヴィカは麻薬中毒に苦しめられ、三女のアフロディタは父親が死んで以来口をきかない。そのアフロディタの視点から3姉妹の生活とヴェレスの街を描く。
アフロディタを演じ、製作もかねるラビナ・ミテフスカは『ウェルカム・トゥ・サラエボ』などに出演する女優、監督のテオナ・ストゥルガー・ミテフスカはその姉でこの作品が長編第2作となる。
工場で働くしっかりものの長女スラヴィカ、抜群のスタイルで流行を追い、派手に男と付き合う次女サフォー、子供のころに母親が家を出て、父親が死んで以来しゃべることをやめてしまった三女アフロディタ。
アフロディタは麻薬中毒から抜け出そうとしているスラヴィカのクスリを病院からもらってくるのが仕事で、それ以外はやることもなく、夢想にふける。27歳で処女だと(声にならないモノローグで)自ら語りながら病院で妊婦を見ると自分は妊娠していると想像し、本当にそうだと思い込もうとする。
日々、軋轢はありながらも3姉妹はひとつのベッドで寝る平穏な生活を送っている。
だが、このヴェレスには大気汚染という問題がある。ことさらにそのことが物語りにかかわってくることはないのだが、作品は街の中心にあり、スラヴィカも働いている製鉄所に対するデモで始まり、折に触れて大気汚染の存在を意識させられる。時には「今日は臭いがきつい」といわれたり、デモ隊の姿が映ったりという具合にだ。
この、ことさらに取り上げられないが間違いなく存在するという描き方が、逆にこの大気汚染という問題を観客に考えさせる。3姉妹の生活と具体的には関係ないのだけれど、彼女たちの生活は常に大気汚染とともにあり、彼女たちはそれを当たり前のことと受け入れている。それが当たり前であるということが実は問題で、それが問題なのだと意識化することが解決への第一歩なのだと考えさせられるのだ。
この作品はずっと哀しい。この3姉妹は何か哀しみの影にいつも付きまとわれているようで、絶望しかない未来と向かい合いながら本当は希望でもなんでもない希望にすがっているような哀しさを常に湛えている。これが大気汚染のせいだとは言わないが、20世紀はじめからの強制移住などの哀しい歴史が街と人々に染み付いてしまっているかのようだ。
言葉をしゃべらない夢想家のアフロディタ(どこかオドレイ・トゥトゥを思わせる風貌をしてる)を主人公とした物語は、人間の視点とは違う位置から捕らえられた映像や彼女の夢想そのものの映像ともあいまってどこか幻想的で現実離れしている。彼女はふたりの姉に守られてその生活に浸ることができているが、時には彼女が現実とかかわりあおうとし、時には現実のほうが彼女に襲いかかってきて、その夢想が破られる。
彼女の夢想が破られるのが哀しいのか、それとも彼女が夢の世界に逃げ込まなければならないのが哀しいのか。姉ふたりは現実的な希望を求めるが、アフロディタにはそれができない。その哀しさ。
汚染された空気によって曇っていなければ美しいはずのヴェレスの街と、哀しさに覆われていなければ美しいはずのアフロディタ。この二つの呼応は、この作品がアフロディタの哀しみを描くことでヴェレスの哀しみを描こうとしているということを意味しているのかもしれない。
そういえば、ラビナ・ミテフスカは2007年の難民映画祭で見た『戦争の子供』に主演していた。あれはいい作品だったなぁ