ハックル
2008/12/9
Hukkle
2002年,ハンガリー,76分
- 監督
- パールフィ・ジョルジ
- 脚本
- パールフィ・ジョルジ
- 撮影
- ポハールノク・ゲルゲイ
- 出演
- バンディ・フェレンツ
- ラーツ・ヨージェフネー
- ファルカシュ・ヨーゼフ
- ナジ・フェレンツ
ハンガリーの小さな村に住むおじいさんは朝からしゃっくりが止まらない。おじいさんは家の前のベンチに座り、その前を村の人たちがブタを連れたり、荷馬車に乗ったりして通り過ぎてゆく。まったく平和に見える村だが、縫製工場ではひとりのおばあさんが別のおばあさんに怪しげな瓶を渡す…
パールフィ・ジョルジが映画学校の卒業制作として作った作品が各国の映画祭で話題をさらった。サイレント映画ではないが、セリフがまったくないというのも斬新。
オープニングの映像は暗がりを何かざらざらしたものがうごめいているというもの。しばらく見ていると蛇だとわかるのだが、金属の鎖か何かにも見えるその映像は不思議な魅力を湛えている。
このような自然というか人間以外の映像もこの作品には多く盛り込まれており、しかもクロースアップが多い。薄汚れた羊の毛のクロースアップ、水中を泳ぐカエル、地中を進むモグラなどだ。中にはどうやって撮影したのだろうと思わせるナショナルジオグラフィック的な映像もあったりする。
一方、人のほうはしゃっくりをするおじいさんをはじめとしてほとんどが年寄り。じいさん達は公園でボーリングのようなゲームに興じ、ばあさん達は料理をしたり、縫製工場で仕事をしたりしている。
田舎の牧歌的な風景を独特の映像美で描くことで、何も起こらない物語も魅力的になる。セリフがないというのも今見ているものが難なのかを理解するために映像に集中することにつながり、観客を作品に惹きつける力になっているのだろう。
しかしやはり、荷馬車の馬が逃げ出すという小ネタくらいしか展開がないと徐々に退屈になってくる。しかし、そこで予想外の展開をもってくるのがこの作品の並ならぬところだ。
その展開は、縫製工場で働くひとりのおばあさんに彼女を訪ねてきた別のおばあさんが白濁した液体が入った小瓶を渡すところからはじまる。これ自体はさらりと描かれていて「なんだろな」と思わせるくらいなのだが、それを受け取ったおばあさんは家に帰って料理をする。そこに家族が集まり会食が始まるのだが、おじいさん(つまりおばあさんの夫)は歯が悪いらしくおばあさんが食べ物をミキサーにかける。そのときにおばあさんはその瓶の液体を食べ物に混ぜる。そしてそれがサスペンスの始まりとなる。
このサスペンスが村にさまざまな波紋を呼び、ちらちらと出てきていた警察官らしい男も絡んできて、なかなか目の離せない展開になっていくのだ。それもセリフはまったく使わず映像ですべてを説明するからすごい。
この作品を見て思い出したのは、チェコなどの東欧独特のクレイアニメである。セリフは基本的にはなく、不思議な映像で幻想的な世界を作り上げてゆくアニメーション。この作品はそれを実写映像でやっているのではないか。単に人間の行動を追ったドラマを作るのではなく、人間の行動と自然とを対置させ、その間に浮かび上がるズレや類似や違いを描くことでおかしみや恐ろしさを生み出す。
そして、この作品が描くのは異常なことが日常的に見えてしまうような世界であり、それは私たちが日常の中で本当は以上のはずのことを当たり前のことのように見逃しているということを示唆しているのかもしれないと思わせる。映画になるようなドラマをわざわざ非日常の中に求めなくとも、私たちの暮らす日常というのは異常なことであふれかえっている。そんなことを感じさせる。
これが映画学校の卒業制作とは本当に驚きだ。何よりもしっかりとした世界観があり、それを見事に映像に定着させている。タイトルにもなっている「しゃっくり」も中心的な要素ではないにもかかわらず非常に効果的に使われている。これが才能ということなのだろう。このパールフィ・ジョルジの本格的な商業映画デビュー作は2006年に作られた『タクシデルミア ある剥製師の遺言』。これもかなり異様な映画のようだが…